「箱根駅伝」で奇跡の大爆走…すい星の如く現れた「山の神」列伝

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 いよいよ東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)が迫ってきた。2021年1月2~3日に開かれる第97回大会は、コロナ禍で行われる異例のレースになるが、各大学の激しい戦いに注目が集まっている。そんな箱根駅伝で劇的なドラマが繰り広げられてきたのは、箱根の山登り区間を含む5区である。

 箱根駅伝でも最大の難コース・5区は、かつては、今よりずっと専門職のイメージが強く、平地ではタイム的に見劣りするのに、山登りでは地道にコツコツと安定した走りを見せる選手が適任とされていた。

 しかし、第72回大会(1996年)で、早大・小林雅幸が、区間記録を46秒も更新する1時間10分27秒で走破して以来、5区はエース区間の2区も走れるほどの実力者が配置される“準エース区間”にグレードアップする。さらに、走行距離が20.9キロから23.4キロに延びた第82回大会(2006年)から第92回大会(16年)までの11年間(15、16年は23.2キロ)では、5区で区間賞を獲得したチームが7回も総合優勝を果たすなど、栄冠に直結する最重要区間となった。

 そんな5区の黄金期にすい星のように現れ、一世を風靡したのが、“山の神”と呼ばれた男たちである。初めにこの称号を与えられたのは、第81回大会(05年)から3年連続区間賞に輝いた順天堂大の今井正人だ。1年のときは2区を走り、区間10位に終わるが、ラスト3キロの上り・権太坂でエンジンがかかるのを見た仲村明監督が適性を見抜き、翌年から5区に起用した。この年、順天堂大は大きく出遅れ、今井がタスキを受け取ったのは、出場20校中17番目だった。ここから“奇跡の大爆走”が始まる。

 平地と変わらないリズミカルな走りで山を登りはじめた今井は、8キロ付近までに8人をごぼう抜き。最終的に5区史上最多の11人抜きを達成し、1時間9分12秒の区間新でゴールした。この快挙を一番驚いたのが、「半信半疑の気持ち」と語った今井自身だった。

“伝説のクライマー”は、距離が2.5キロ延びた翌年、再び衝撃的な走りを見せる。6位でタスキを受け取った今井は「(平地のあと)登りはじめてからは調子が上がった」と異次元のスピードで、前を行く4人を次々に抜き去る。さらに14.2キロ地点の小涌園のカーブで、トップの山梨学院大を視野にとらえ、エンジンを全開にすると、最高地点(標高874メートル)の19キロで一気にかわし、1時間18分30秒の区間新でゴールに飛び込んだ。

 そして、主将となった最後の箱根で新たな伝説が生まれる。トップ・東海大に4分09秒差の5位。さすがに「届かないかな」と思った今井だが、2秒先にスタートした日体大・北村聡に食いつかれ、負けじと気合が入る。9.5キロ地点で北村を振り切ると、さらに2人を抜き、トップの東海大も16キロ地点で一気に抜き去った。前年の自らの記録を更新する1時間18分05秒。驚異的な走りに脱帽した早大・渡辺康幸監督は「山の神です」と評し、それが今井の代名詞になった。

 当分の間、破られることがないと思われた今井の記録は、2年後の第85回大会(09年)で、“新・山の神”によって更新される。東洋大の1年生・柏原竜二である。

 いわき総合高時代は、インターハイも高校駅伝も出場なし。だが、「前へ前へ行こう」という積極的な姿勢は、貧血を克服すると、眠っていた素質を一気に開花させ、前年1月の都道府県駅伝の1区で区間賞を獲得。そのとき、福島県チームで一緒になった今井から「山登りはやりがいのあるところだよ」と言われ、大学に入ってすぐに5区を志願した。

 初めての箱根は初めての箱根は、トップの早大から4分58秒差の9位スタートも、柏原はあきらめなかった。「行くしかないな」と設定タイムを無視して最初の5キロを14分台で突っ込む。そのまま勢いに任せて頂上までに7人を抜き、最後のターゲット・早大も19.2キロ過ぎに抜き去った。

 2年前の今井を47秒も上回る1時間17分18秒。19歳の1年生が、1933年の初出場以来、一度も優勝経験のない東洋大に初の往路Vをもたらし、悲願の総合初優勝を呼び込んだ。

「時計が間違っていたんじゃないかと、今も思います。超えた実感がまったくありません」と信じられない表情のスーパールーキーだったが、翌年も1時間17分08秒と自らの記録を10秒更新。最後の箱根となった第88回大会(12年)では、4年連続区間賞とともに、前人未到の1時間16分台(39秒)を実現した。

 3人目の山の神が現れたのが、第91回大会(15年)。“山の神野”と呼ばれた青学大・神野大地である。中京大中京高時代は、3年時の高校総体5000メートルが唯一の全国舞台。大学入学後、「陸上が人生のすべて」と人一倍猛練習に励み、ストレッチで頑健な体をつくり上げた。

 2年で初めて箱根の2区を走り、区間6位の成績を残したが、「5区は大きな差をひっくり返せる。我慢比べなら負けない」と山登りを志願。柏原の映像を繰り返し見て、腕を大きく振る理想のフォームを会得すると、練習で5区の本命・一色恭志を上回るタイムを記録し、見事夢を叶えた。

 そして、出走直前、招集所で「ジンノ」と呼ばれたことが、「力走で“カミノ”をアピールするしかない」と神野を一層奮い立たせる。2位でタスキを受けると、46秒差あった駒大・馬場翔大を10.4キロ地点でとらえ、数百メートル並走後、相手のペースが上がりそうにないと見て取ると、一気に突き放した。

 前年より200メートル短縮された新コースで1時間16分15秒の区間新。体重43キロの軽量ながら、「筋肉は少ないけど、重くない分、運ぶのは楽」と会心の笑顔を見せた。主将となった翌年は、故障の影響で区間2位に終わるが、1位で往路Vのゴールを切り、2年連続総合優勝に貢献。山の神の意地を見せた。

 この年を最後に5区は現在の20.8キロに短縮されたが、今も重要な勝負区間であることに変わりはない。第97回大会で新たな山の神が誕生するのか、期待したいところだ。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。著書に「平成箱根駅伝B級ニュース事件簿」 (日刊スポーツ出版社)。

週刊新潮WEB取材班編集

2021年1月1日掲載

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