【NHK紅白裏面史】吉川晃司はシャンパン、タコ発言の長渕剛…ハプニングの全真相

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 放送間近の「NHK紅白歌合戦」は71回目。テレビ界最大の音楽番組であると同時に長寿番組なので、過去には様々なハプニングやアクシデントがあった。そんな裏面史を辿る(視聴率はすべてビデオリサーチ調べ、関東地区)。

 紅白は高視聴率番組である分、事あるごとに視聴者からの抗議がある。サザンオールスターズが「チャコの海岸物語」で2回目の出場を果たした時もそう。1982年の第33回のことだった。

 白組6番目歌手として「チャンチキおけさ」を歌った故・三波春夫さんに続き、7番目で登場したサザンの桑田佳祐(64)は、なんと三波さんそっくりのコスプレ姿。着物を身にまとい、顔には白塗りの化粧をほどこしていた。歌い方まで三波さん風で、こぶしをきかせた。当時、ツイッターがあったら、間違いなくトレンド入りしただろう。

 桑田によるパフォーマンスは1978年のデビュー時からのことなので、若年層はすんなりと受け入れたはずだ。もっとも、中高年層以上は違和感を抱いたらしく、NHKに「ふざけている」といった抗議電話が相次いだ。最初からふざけるつもりだった桑田としては困惑したに違いない。

 この件でNHKが桑田に謝罪文を要求し、それを桑田が突っぱねたことから、紅白に出られなくなったという説が流布されているが、それは都市伝説。事実、翌1983年の第34回にもサザンは「東京シャッフル」で出ている。NHK側は桑田の三波さんパフォーマンスを事前に知っていたのだ。

 NHKが知らなかったパフォーマンスがあったのは1985年の第36回。20歳で初出場した吉川晃司(55)が、白組トップバッターとして「にくまれそうなNEWフェイス」を歌った時のことだ。成人記念としてステージにシャンパンを振りまいた。さらにギターを叩き壊し、そこに火を付けた。

 いかにもロック歌手らしいパフォーマンスではあったものの、紅白は秒刻みのスケジュールで進行するため、ステージ上を片付ける時間はなかった。すぐに紅組の河合奈保子(57)が登場。「デビュー」を歌ったが、その表情は恐怖で凍り付いていた。

 さらに次のシブがき隊がステップを踏みながら「スシ食いねェ!」を歌ったところ、ステージが酒浸しだったので、布川敏和(55)が足を滑らせ、2度もコケた。

 晴れ舞台で恥をかかされた布川は吉川を恨んだかというと、そんなことはなかった。2人は同い年で、実は良き遊び仲間だったからだ。

長渕をめぐる騒動も

 出演者たちが放送中から紅白に対する憤りの声を上げたこともある。1990年の第41回だ。理由は初出場した長渕剛(64)が、「親知らず」「いつかの少年」「乾杯」の3曲を歌ったことにあった。同年、東西統合を果たしたドイツのベルリンからの衛星生中継だった。

 歌以外に総合司会の松平定知アナ(76)とのやり取りもあったため、長渕の登場部分は計17分30秒にもおよんだ。ベテラン勢の名曲も時間の都合でカットされてしまった中での厚遇だったので、御大・北島三郎(84)、故・植木等さん、五木ひろし(72)らが次々と「おかしい」と声を上げた。放送中に激怒する歌手もいたという。

 出場者たちは長渕が3曲歌うことを知らなかった。白組司会者の西田敏行(73)すら聞かされてなかったという。このため、「長渕は勝手に3曲歌った」という説までまことしやかに流されているが、それは誤解。無論、NHK側との打ち合わせで事前に決まっていた。

 もしも勝手に歌おうとしたら、回線を切られてしまうし、そもそも1曲歌うためにベルリンにまで行かない。なぜかNHK側からほかの出場者への告知が行われなかったというのが真相のようだ。事前に知らせると、余計に反発されると考えたのではないか。

 長渕の言動もほか出場者や視聴者、そしてNHKを刺激した。松平アナが「寒いですか?」と問い掛けたのに対し、「寒いも暖かいも何も、現場を仕切っているのがドイツ人ばっかりで、戦ってくれる日本人がいない。こっちはタコばっかりです」と、答えたからだ。

 長渕はその後、長く紅白から遠ざかった。理由はつまびらかになっていないが、タコ発言を問題視する声がNHK内にはあった。

 長渕の次の出場は「しあわせになろうよ」を歌った2003年の第54回。出場前にはある記者会見で、第41回のことを「あのころは随分生意気なガキだった」と苦笑まじりで振り返っていた。復帰までに13年あった。

 紅白でのパフォーマンスが理由となり、いまだ紅白復帰どころかNHK出演もはたせていない歌手もいる。2006年の第57回で「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」を歌ったDJ OZMA=41、2009年引退=と、同一人物とされる氣志團の綾小路翔である。

 DJ OZMAはこの紅白でド派手なパフォーマンスを繰り広げた。まず歌っている途中でブリーフ一枚に。股間にはキノコ状の飾りが付いていた。女性バックダンサーたちは全裸スーツ(裸に見える着ぐるみ)になった。この歌は歌詞に「今夜 踊り狂おう 裸で――」などとあり、この姿になるのはライブでは当たり前のことだった。

 とはいえ、全裸スーツは実に精巧で、一見すると本当の裸。それが禍し、放送中から抗議電話が殺到する。紅白は視聴者層が幅広いので、若年層は拍手喝采だったのかも知れないが、中高年層以上の一部は仰天したようだ。

 紅白史上、最大級の抗議が寄せられた。放送中に約250件、放送翌日の元日には約750件の抗議電話があった。一部新聞も批判。赤旗までそれに加わった。NHKニュースの批判なら分かるが、紅白を槍玉に挙げるのは前代未聞のことだった。

「多くの視聴者が不愉快な思いをしたのです。ばか騒ぎを押し付けられる視聴者はたまりません。そのことに考えが及ばなかったのなら怠慢です」(赤旗2007年1月10日付)

 当時の故・橋本元一会長は新年早々、「皆様に不快な思いをさせた」と平謝りする羽目に。紅白のパフォーマンスで会長が謝罪するのもやはり前代未聞だった。

 NHKは「(パフォーマンスを事前に)知りませんでした」「(DJ OZMA側が)『サプライズが足りない』として勝手に演出を変えた」と釈明した。片やDJ OZMA側の説明によると、一部の演出陣は知っていたはずだという。確かに放送3日前のリハーサルの際も「(本番では)脱ぐ」と公言していた。

 結局、両者間の意思の疎通不足だったようだ。2021年は氣志團のメジャーデビュー20周年。ヒット曲を出し、紅白復帰を果たしたいところだろう。

 歌をじっくり聴くのもいいが、パフォーマンスも紅白の華。さて今年はどんなパフォーマンスが飛び出すのか。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年、スポーツニッポン新聞社入社。芸能面などを取材・執筆(放送担当)。2010年退社。週刊誌契約記者を経て、2016年、毎日新聞出版社入社。「サンデー毎日」記者、編集次長を歴任し、2019年4月に退社し独立。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年12月31日掲載

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