渡部「多目的トイレ問題」 車いす芸人が抱いた違和感

エンタメ 芸能 2020年12月18日掲載

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 アンジャッシュの渡部建への批判は謝罪会見を経ても止まらない。「多目的トイレ」の使用法への批判もかなり強いようだ。しかし、車いす芸人として知られるホーキング青山氏は、批判とは別の違和感を抱いたという。以下、青山氏の特別寄稿である。

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 アンジャッシュの渡部建さんの“多目的トイレ不倫”の謝罪会見が世間をにぎわせています。

 この件では「多目的トイレ」が使われたということで、勝手に関係者認定されたようで、さほど関係ない私に取材が来たりして、なんだか不思議な気分になっています。

 渡部さんの今回の騒動に関しては、「多目的トイレ」という“不良学生じゃあるまいし”という場所のインパクトと、「行為は3~5分でお礼に1万円」という女性を完全に“物扱い”しているとされる行動が、他のどの不倫騒動よりも「ゲス」に映ってしまう所以なわけです。

 ただ、“物扱い”については当事者で話し合ってもらえばいい話ですし、私には本当に関係がないのでここでは触れません。

 しかしでは、「多目的トイレ」での行為の方も、奥さんや相手の女性以外がそれほど目くじら立てて怒ることなのか?

 車いすに乗る障害者の一人としては、どうも違和感があります。

 たしかに「多目的トイレ」というのは、車いすやベビーカーのままでも入れ、歩行に難のある高齢者などでも利用できる「ユニバーサルデザイン」の傑作だと思います。

 といっても、それなら障害者は皆使うかといえば必ずしもそうではなく、障害の程度等により必要がない人は使わないのです。実際に私も使っていません。

 でもそれが、私の違和感の理由ではないのです。

 素朴な疑問なのですが、現在、この「多目的トイレ」に限らず、トイレを利用する人は、果たして皆が皆従来の排泄目的だけで使っているのでしょうか?

 これは家の中での話になりますが、最近の若い人たちはともかく私の父の世代(団塊の世代)の多くはトイレにこもり新聞を読みふけっているなんて、一昔前の当たり前の朝の風景でした。

 外でも同様です。最近では「多目的トイレ」に限らず、トイレの個室にスマホをいじるためにこもる人は珍しくありません。

 私には信じがたいのですが、食事をするために個室にこもるという強者の存在も、少し前に話題になりました。

 今回、特に障害者など「社会的弱者」とされる人が優先して使うべき場所でことに及んでいたことが問題だ!と怒っている人も多く、その正義感はもっともなことだと思います。

 でも、実は「多目的トイレ」や個室を利用してことに及ぶのも、渡部さんの専売特許ではありません。

 良し悪しは別として映像作品、漫画などでもさんざんそういう描写はありました。決してフィクションだけの話ではないはずです。

 というのも、今だから書けますが、私は高校時代の同級生(障害者)から、彼女(こちらも障害者)と「多目的トイレ」で愛を育んでいたという話を学生時代、たびたび聞かされました。

 この場合、使用していたのは障害者ですが、使用法は不適切です。誰が誰に怒りをぶつければいいのかよくわかりません(笑)。

渡部さんを“責めていた人たち”への違和感

 なぜこんなことを書くかといえば、何となく「多目的トイレ」にこだわって渡部さんを批判する人と、私の感じ方に大きなギャップがあるように感じたからでした。

 先日の会見を見ていて、あの正論だけでひたすら人を追い詰めるやり方、特に「障害者等が使うべき場所」での行為が許されるのか、そういう人に対してどう思うのかと執拗に迫る様に、個人的には強い嫌悪感を抱いたからです。

 何となく、渡部さんを責めるダシに障害者を使っているような感じが、その嫌悪感の源にあります。もちろん、「多目的トイレ」を実際に使用しなければならない人の多くは本当に怒っているでしょうし、今回の件では渡部さんは責められてしかるべきです。

 でも私はあの会見で渡部さんを責めていた人たちのほうに違和感を持ちました。

 渡部さんには、少なくとも障害者等への差別的な偏見があったわけではありません。それはコメントを見れば一目瞭然だし、短絡的に「マスコミにバレたくない」「手っ取り早く済ませられる」「金がかからない」ぐらいの理由で「多目的トイレ」を選んだだけだと思います。

 まあ、だから始末に悪いともいえるんでしょうが、同級生の悪事をよーく覚えている私は、一方的に責める気にはなれないのです(もちろん言うまでもなく、これは一障害者芸人としての私個人の意見であり、多目的トイレがどうしても必要な事情を持つ障害者、子ども連れ、高齢者等利用される方々、不愉快に思われたらすみません)。

 私が『考える障害者』などの著書で繰り返し述べているのは、勝手に障害者を聖人君子のように思わないでくれ、ということです。どういうわけか、「身体は不自由だけれども、心は清らか」というイメージを膨らませる人が少なくない。テレビなどはそういう構図で「美談」を流します。

 しかし、当然のことながらそんなことはないわけで、性格の悪い奴もいるし、私の同級生のように助平な奴もいるわけです。

 トイレの件で、勝手に障害者を被害者と捉えている人たちの考え方は、何となく「障害者=聖人君子」と捉える人たちに似ているようにも見えます。

 あの会見を見て、もしも本当に「弱者」への思いやりがあるのなら、そろそろその優しさを、そもそも芸人で、聖人君子であるはずがない渡部さんに向けてあげてもいいんじゃないか、とさえ思ってしまいました。もう渡部さんはトイレであのようなことは絶対にしないでしょう。それよりは、ここで述べたような、その他の不適切な利用をなくすことを考えたほうが皆のためになるのではないでしょうか。

デイリー新潮編集部