「平尾昌晃」後妻と息子が“墓トラブル” 治療費未払いなどの問題も

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 この時期になると、紅白歌合戦で「蛍の光」の指揮棒を振る姿が思い出される。「瀬戸の花嫁」などの名曲を生み出した昭和のヒットメーカー、平尾昌晃(享年79)。その莫大な遺産を巡る骨肉の争いは収まらず、平尾家の墓誌には、未だその名が刻まれていないのだ。

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 平尾家代々の墓があるのは東京・上野の谷中霊園。

 墓石の傍らに立つのは、過去に逝去した平尾家の親族の名前と享年が刻まれた石碑「墓誌」である。だが、なぜか、2017年7月に他界した「平尾昌晃」の名前が見当たらない。

 この謎について、50代半ばの“未亡人”はこう答える。

「平尾家は代々、神道なのですが、昌晃は日蓮宗で戒名も頂いています。そうした理由もあって墓誌には名を刻まず、平尾家のお墓とは別にモニュメントを作りたいと考えているのです。ただ、亜希矢君がなかなか承諾してくれなくて……」

 平尾には生前、3度の結婚歴があり、最初の妻との間に長男、2番目の妻との間に次男の亜希矢氏、三男の勇気氏をもうけた。先の“未亡人”は事務所のマネージャーだった、3人目の妻に当たる。勇気氏は18年9月、毎年1億円近い著作権料を含め、60億円にのぼるとされる父親の遺産が、義理の母によって不当に管理されていると主張して、法的措置に打って出た。骨肉の争いが表面化したのだ。

 問題の墓誌について亜希矢氏に尋ねると、

「お墓の件では彼女にずっと振り回されています。当初は納骨すらさせてもらえなかったんですよ」

治療費も未払い

 現在、平尾家の斎主を務める亜希矢氏によれば、

「父も僕ら兄弟も日蓮宗ですが、代々の墓誌に名前を刻むことは問題ないと考えています。それなのに、彼女は“昌晃には別にモニュメントを作りたい”と言い張って聞かない。僕らが頼み込んで、去年の命日に納骨だけは済ませましたが、その後も“墓誌に名前は入れないで”と念を押されました。決着がつきそうにないので、父より後に亡くなった伯父の名前を先に入れることになったのです」

 昭和歌謡史に名を刻みながら、先祖代々の墓誌にその名が刻まれないとは……。

「彼女は一方的にモニュメントの話を進め、石材屋から届いた見積り額910万円のうち半額を支払えと言う。また、父が経営していた会社の株が不当に安く取引された件では、彼女の関与が疑われるものの、加算税は僕らの会社が払うことに。最近になって、父が亡くなった病院への治療費の未払いまで発覚。彼女は医療過誤を理由に支払いを拒んでいましたが、結局、その半額は僕らが負担しています。恥ずかしい話ですよ。お墓の管理費も僕が払っているのに、彼女は勝手に墓の周りに花壇を作り、お供え物と称して空き缶を放置する。父はお酒が全く飲めないのにビールの空き缶まで置かれていました。法定相続分のお金は持って行ってもらって構いません。その代わり、彼女には早く平尾家から出て行ってもらいたい」(同)

「蛍の光」とは違い、骨肉のメロディーは年が明けても鳴りやみそうにない。

週刊新潮 2020年12月10日号掲載

ワイド特集「驕れる者」より

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