医と食をつなぐ事業で社会問題を解決する――磯崎功典(キリンHD代表取締役社長)【佐藤優の頂上対決】

ビジネス 週刊新潮 2020年11月26日号掲載

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 若者を中心にビール離れが止まらない。いつのまにかビール市場は最盛期の3分の2となり、各社はビジネスモデルを再構築せざるえなくなった。他社がグローバル化に大きく舵をを切る中、キリンはヘルスサイエンス事業に活路を見出した。その核となる「プラズマ乳酸菌」の力とは――。

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佐藤 私の母方の伯父は、かつて兵庫県の県会議員を務めていて、尼崎に住んでいました。子供の頃に遊びに行くと、近くに巨大なキリンのビール工場があったのが、強く印象に残っています。

磯崎 尼崎工場ですね。あそこは大正7年(1918)の操業開始で、長い歴史のある工場でした。

佐藤 地域にも密着していて、いろいろ催しがあったので、中に入ったこともあります。また伯父は沖縄県人会の会長も務めていたのですが、沖縄出身の親戚や知人がそのビール工場で何人か働いていました。

磯崎 そうでしたか。尼崎工場は主力工場の一つでした。1996年に操業を停止し移転しますが、私はその跡地にできたホテルの総支配人を2年間務めました。当時、沖縄県人会の方々は大切なお客様で、宴席や結婚式でよく使っていただきました。

佐藤 大変でしたでしょう。沖縄の結婚式は、沖縄本島でなら300人は呼ぶのが普通で、本土では少し規模が小さくなるにしても、かなりの数になります。人がどんどん集まってきて、よく飲みますし、やがて踊り始めます。

磯崎 そうでした。すごく飲まれました。沖縄の方々は、阪神工業地帯の中小企業を支えて、大勢が尼崎にお住まいでしたね。

佐藤 もう戦前から仕事を求めて移り住んでいます。その地域の中心に大きな工場があった。だからキリンは愛着のある特別なブランドです。

磯崎 そんなご縁がありましたか。

佐藤 それに昔はビールといえばキリンで、寡占状態でした。

磯崎 高度成長とともに伸びてきて、最高時は、全国シェア63%でした。ちょうど私が入社した1977年頃です。尼崎工場のある兵庫県なら70%以上、お隣の岡山や広島では80%以上になりました。さすがに競争の厳しい東京ではそこまでいきませんが、当時は独占禁止法の企業分割の対象となる可能性が囁かれるほど、売れに売れた。だからお客様のお求めになるだけのビールを出荷できないこともありました。

佐藤 ウチはキリンが何本取れるんだ、と出入りの酒屋さんが自慢していたことを覚えています。

磯崎 いまはもう死語ですが、小売店に対して「割当」という言葉がありました。

佐藤 私の父は、少し高いけれど、独特の苦味があるから、やっぱりキリンなんだ、と言っていました。

磯崎 祖父、あるいは父が家の縁側でラガービールを飲んでいるのをよく見ていたので、自分もキリンのファンになりました、というお話はよく聞きます。それが永遠に続けばよかったのですが、ビール市場全体の出荷量は1994年がピークで、現在の市場はその3分の2になっています。

佐藤 今年の上半期は、キリンがアサヒを抜いて11年ぶりに首位奪回という記事がありましたが、喜んでばかりもいられないわけですね。

磯崎 かつてのような出荷数に戻ることはないと思っています。

ビール離れはなぜ起きたか

佐藤 ビール離れはどこに原因があるとお考えですか。

磯崎 まず一つの要因は、人口減です。これは避けられません。そして若者のビール離れがあります。昔は歓迎された苦味が苦手という人たちが増えてきた。かつて乾杯はビールで、その後にウイスキーや日本酒、カクテルでしたが、いまは最初からカクテルやチューハイという人が多い。

佐藤 お酒の種類もたくさんあって、選択肢が増えました。しかも安価なものがたくさんあります。

磯崎 そうですね。それに加えて、飲み会といいますか、大勢で集まりわいわい盛り上がってビールを飲むという機会が減っています。みなさん、違うものにお金をかけているんですね。ゲームだったり、スマホのいろいろなサービスだったり、飲酒以外のことに楽しさや価値を見出している。これは世界的な傾向です。

佐藤 大学生なら、かつては月に何度かは当たり前のようにコンパがありましたが、確かに少なくなりました。

磯崎 さらにWHOからアルコール規制への圧力が強まっています。最初はタバコで、2003年に「たばこ規制枠組条約」が採択されました。これに続いてアルコールが問題視され、2010年に「アルコールの有害使用を低減するための世界戦略」がまとめられています。

佐藤 この流れはなかなか止まらないでしょう。

磯崎 はい。それともう一つ、ビール会社の怠慢もあったと思います。お客様のニーズをきちんと受け止めてこなかった。いま大手は4社ありますが、どこも同質のビールを作って、あとはコマーシャル競争です。毎年春になれば新しいビールを出し、1年経つとそれが消えて、また新しいビールを作る、ということを繰り返してきた。でも、本当に毎年新しいビールを出すことが求められているのかと考えてみると、そうとも言い切れない。本物のビールがあればそれでいい、というお客様もいるでしょう。我々がお客様不在の競争をしているうちに、本当にビールの好きなお客様が離れてしまったのではないかと思っています。

佐藤 外国のビール会社は、次々いろんな名前の新ビールを出すことはありませんからね。

磯崎 こうした中で、我々が持続的に成長していくのにビールだけでいいのか、酒類だけにしがみついていていいのか、と自問自答してきました。私の在任時だけならそれでも大丈夫でしょう。でも次の世代はどうか。これから入社してくる人たちに魅力ある会社であり続けることができるのか。ビジネスですから収益をあげていかなければなりません。そのために、いまのうちにいろいろ手を打っていかなければならない。

佐藤 同じ問題を抱えるアサヒグループHDやサントリーはグローバル展開に大きく舵を切りました。

磯崎 我々はどこよりも早くグローバルに出て行きました。オーストラリア、フィリピン、そして売却しましたが、ブラジルにも進出しました。ですからグローバルの状況は早くにわかっていたつもりです。でもその中で、とても好調だったオーストラリアで、あれよあれよという間に数量が減ってきた。オーストラリアはほぼ寡占状態でしたから、値上げをすれば計算上利益は出るのですが、ビールは装置産業です。機械にかかる固定費や人件費を、効率をマックスの状態にすることで吸収して原価を下げている。その努力が、販売数減になると、一瞬にして消えてしまいます。だから数量が減ることは非常に大きな問題なのです。

佐藤 新興国に活路を見出す、という戦略もあります。

磯崎 確かにフィリピンもブラジルもビールの消費量は伸びています。ただ新興国で利益をあげるのは、たいへんなことです。価格にコンシャス(意識的)だからです。その中でビジネスをするには、よほどきちんとしたブランド戦略、あるいはチャネル(販売ルート)戦略がないと成功しません。

佐藤 確かに日本のビールは高級品になりますね。

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