渡の哲っちゃんのためなら……松方弘樹が大河ドラマ「勝海舟」でみせた男気

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 ペリー荻野氏が時代劇研究家として現場取材歴まもなく30年を迎える。これまで出会った時代劇スターたちは200人を優に超える。新連載【ペリーが出会った時代劇の100人】では、彼らの素顔と作品をご紹介していく。

 第1回は、時代劇から現代劇、バラエティまで幅広く活躍を続けた松方弘樹。

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 剣豪スター、近衛十四郎を父に持つ松方弘樹(1942 ~2017)が、俳優の世界に入ったのは、高校3年のとき。それまでは歌手志望で作曲家の上原げんとの内弟子になってかばん持ちをしていた。そこに中学を出たばかりの「坊主頭の松山くん」が入門、その歌のうまさに驚いて、自分は歌の道をあきらめた。その松山くんこそ、五木ひろし。私がインタビューした際も「後に松山くんが成功したときはうれしかったですねえ」とにこにこしていた。もっとも松方も後年、主演ドラマ「遠山の金さん」の主題歌などで艶やかな声を聴かせている。

 父・近衛は厳しい人で、映画で共演した際、がけに倒れた松方に父が激しく打ち込み、石のかけらが松方の頬に当たって血だらけになって、監督が止めに入ったこともあったという。昔の映画スターにはよくあることだが、父は家には帰らず、京都の御茶屋に居続けて、そこから撮影所に来る。父を「近衛さん」と呼ぶ松方は複雑な思いを抱えつつも、父に無言で芝居の教えを受けていたんだろうと語った。

 次々に映画出演が続いた若いころは「俳優は男子一生の仕事にあらず」とカッコつけた発言が目立つ。本気でこの道だと決心したのは、深作欣二監督の「仁義なき戦い」(73年)だった。この映画で、ふんどしを締めなおす気持ちになったのだった。

 時代劇では、その翌年の大河ドラマ「勝海舟」は、とても印象深い。主演の渡哲也が大病し、松方が急遽、交代したのである。その連絡は脚本家の倉本聰から直接受けた。舞台の仕事で大阪にいた松方は、朝一番の電話で「作家の倉本です」と言われても、「は?」という感じだったらしい。話を聞いて、他の俳優の後をやるのは……と一瞬ためらったものの、日活と東映、会社は違ってもともに映画畑で頑張ってきた「渡の哲っちゃんのためなら」と引き受けた。松方の男気が光った「勝海舟」は、最高視聴率30パーセントを超え、好評を得た。勝が助けようとして救えなかった岡田以蔵役の萩原健一とのシーンは、今も語り草だ。

「勝海舟」の話の中で、その10年前にテレビで主演した「人形佐七捕物帳」も実は大川橋蔵に来たお話を「若い自分がやらせていただいた」と聞いた。そのときも、手下役の渥美清らに助けられて好評を得て、1クールの予定が1年放送されるほどになった。「無事に最終話まで完走できて、よかった」という素直な言葉の中に、俳優としての謙虚さや先輩へのリスペクトがにじみ、豪快な松方弘樹の中の別の一面を見た思いがしたものだ。

 その後、隠密同心が活躍する「大江戸捜査網」を4年半、「遠山の金さん」を10年半、長く続けることになった。金さんでは、お白州の場面で、長い袴をバッと前に飛ばす。きれいに見せるため、袴のすそにコインを仕込んだり、中に草履(ぞうり)を履くのがコツなんだとか。背中の桜吹雪を見せるときも、「やかましいやい!!」と啖呵を切ってから、一度懐で腕を止めて、ぐーっとためてから、「あの日、あのとき、ある夜の……」などと七五調のセリフを言いながら、ズバッと脱いで見せる。この七五調がないと、うまくいかない。歌手修行経験のある松方は、この「間」と七五調のリズム感が抜群だった。驚いたのは、こういうセリフは台本に書かれてないので、片岡千恵蔵先生の映画などを参考にして、松方とスタッフで毎回考えていたということ。恵まれた二世俳優というイメージだったが、歌舞伎や過去の作品をコツコツと研究するする一面もあったのだ。

 また、殺陣も大きな魅力。映画「十三人の刺客」で、悪鬼のような殿様を抹殺するため、大名行列を襲撃する刺客のひとりとなった松方は、ぼろぼろになって、命がつきかけても刀を振るう。殺陣だけで人を泣かせた。私は時代劇関連の情報番組で愛用の刀を見せていただいたが、思った以上に柄も刀身も長い! 以前、ベテランの殺陣師さんに「松方さんはとにかくグリップが強い。お父さん譲りやな」と聞いたことがあった。近衛も松方も強いグリップで繰り出す刀の返しがあまりに速く、斬られ役の俳優が「死ねませんがな」とぼやいたというからすさまじい。その番組の中では、わざわざ狭い部屋のセットを用意し、そこで長い刀を使ってもらったが、身体と刀を巧みに引き、ひねり、止め、壁にも天井にも一度も刀をぶつけることなく、敵を何人も斃(たお)してしまった。

「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」で声が裏返って汗をふきふきする面白おじさんになって大人気となり、他のバラエティからも出演依頼が山のように来た(ご本人は「全部受けていたら蔵が建ったなあ」と笑っていた)が、「アクターとして生きたい」俳優業を優先。役者以外のレギュラーは「元気」のプロデューサーが松方の趣味を発展させたドキュメンタリー「世界を釣る」と決めて、「雲霧仁左衛門」では盗賊のお頭としてシリアスな顔を見せ、父・近衛が当たり役とした「素浪人 月影兵庫」ではコミカルな味を見せた。

 少年時代、映画では大石主税を、長じてはドラマで大石内蔵助を演じるなど、俳優なら誰しも憧れる王道を歩んでいたように見えるが、実際は、映画界でいよいよ主役を張れる年ごろになると、娯楽の中心がテレビに移り、そのテレビでも時代劇の減少を経験している。没後出版された評伝のタイトルは「無冠の男 松方弘樹伝」(講談社)。父の時代とは違って、艶聞(えんぶん)で苦労もしたし、大きな賞とも無縁ではあったが、男の色気、愛嬌、厳しさ、たくさんの顔を時代劇の中で見せてくれた。弟・目黒祐樹も子役から活躍している。東映京都撮影所で「お兄ちゃん」と言えば、今もこの人のことである。

ペリー荻野(ぺりー・おぎの)
1962年生まれ。コラムニスト。時代劇研究家として知られ、時代劇主題歌オムニバスCD「ちょんまげ天国」をプロデュースし、「チョンマゲ愛好女子部」部長を務める。著書に「ちょんまげだけが人生さ」(NHK出版)、共著に「このマゲがスゴい!! マゲ女的時代劇ベスト100」(講談社)、「テレビの荒野を歩いた人たち」(新潮社)など多数。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年11月15日掲載