「紀子さま」 結婚直後の“軽井沢デビュー”と「ご懐妊」発表直前、吹雪の中で

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ワイドショーのレポーターがマイクを

 1990年8月。結婚直後に軽井沢を訪ねられた秋篠宮さまと紀子さま。行くところ人だかりで人気は沸騰していた。そして、それから半年余りたった91年3月12日に「ご懐妊」を発表されたのだった。

(「フォーカス」1990年8月31日号などを基に修正したものです。称号や肩書などは当時のものを採用しつつ、適宜変更しています)

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 天皇家には、那須、須崎、葉山にご静養のための御用邸があるが、避暑地としては上皇上皇后両陛下の“思い出の地”である軽井沢は格別なのだろう。

 天皇ご一家のどなたかが訪れるたびに、そのお姿を一目見ようとする人たちで軽井沢は騒ぎになる。

 1990年夏の場合、それが頂点に達したのは、ご結婚されたばかりの秋篠宮さま(24)・紀子さま(23)ご夫妻の時だった。

 ご夫妻の軽井沢入りは8月17日。軽井沢駅前にはお二人の到着前から人だかりが出来、お二人が現れるや手を振ったり、「紀子さまー」の声が飛んだり。

 普段は芸能人相手のワイドショーのレポーターが、“取材協定”を破って、紀子さまにマイクを突きつける一幕もあった。

 翌18日、お二人は秋篠宮さまの運転で碓氷峠にドライブに出かけられた。クルマはオレンジ系統のフォルクスワーゲン。

 その夜、ご夫妻は中華料理店に食事に出かけられたのだが、店の前の狭い道に500人ほどが集まってしまったため、パトカーが出動して規制。

 結局お二人は店の裏側から“避難”して、宿舎のプリンスホテルに戻られた。ご夫妻の滞在中、軽井沢警察署は、群馬県警から130人の応援を求めて警備に当たったという。

粘りのテニスをされていた

 19日にはホテルのテニスコートでお二人はテニスを楽しまれた。コートの周りを宿泊客が囲んだが、秋篠宮さまの後方の人たちの目線で明らかなように、その先は紀子さまである。

 秋篠宮さまと知り合った学習院大1年の時から、赤坂御所内のコートで共にプレーをされてきたという紀子さま。

 この日は、秋篠宮さまの攻撃型のテニスとは対照的に、どんなボールでも拾おうとする、粘りのテニスをされていた。

 ご結婚から2ヵ月。天皇ご一家が毎年のように過ごされている軽井沢だが、秋篠宮さまが紀子さまをお連れになったのは、むろんこれが初めてである。

 それから半年余が経過した1991年3月12日、紀子さまのご懐妊が発表された。「妊娠2ヵ月」であった。

 世間では、「男児誕生」への期待が醸成されていく。

 もし男の子が生まれれば、天皇家だけでなく、皇族全体にとってみても、父親となる秋篠宮さま以来26年ぶりとなる……などと繰り返し伝えられたものだ。

 なにしろ、もう四半世紀以上も男子が出生していないのだから、当時の皇族に未成年の男子は一人もいなかった。

 このままでは断絶する宮家も出てくる――そんな嘆きも聞こえてきた。

 皇室担当記者によると、

「皇族は皇室典範によって養子を迎えることができません。それと、秋篠宮や高円宮のように結婚を機に新宮家を創設するケースが多いのですが、男の子が生まれないと、宮家は断絶してしまう。その意味では一般の家庭より男子待望の気持ちが強いかもしれませんね」

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