日本の「人口あたり論文数」が先進国で最下位に 研究者が中国に向かう背景とは

国際 中国 2020年11月5日号掲載

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「千人計画は、中国におけるハイレベルな人材を招致する計画であり、さまざまな報道や議論があることは承知している。政府としては引き続き高い関心を持ち、動向を注視していきたい」

 そう語ったのは加藤勝信官房長官。10月22日の定例会見で、記者から「日本学術会議」問題で一躍その名が知れ渡った「千人計画」について、政府の見解を問われた際の発言である。

 2008年から中国政府国務院と中国共産党が、多額の資金を武器に世界中の優秀な科学者らを招聘してきた謎のプロジェクト。最先端の知財が秘密裡に盗まれたとして、アメリカでは参加した科学者などが40名以上も逮捕されている。

 欧州や豪州をはじめ西側諸国が警戒を強める一方、多くの学者が参加している日本はあまりにも無防備なまま。10月22日号から本誌(「週刊新潮」)が報じてきたように、この計画では東大をはじめとする一流大の日本人研究者が、軍事兵器を積極的に開発する大学などに招かれていた。

 前回までを簡単におさらいすれば、「軍民融合」を掲げる中国では、民間の研究であろうと軍から求められれば、その成果を無条件に提供しなければいけない。斯様(かよう)な義務を法的に課す国で、自らの研究が「軍事転用」される危険性に無自覚な科学者たち。背景には、日本で研究予算が削られポストがなく、「中国に行くしかなかった」状況があると抗弁するのだった。

 すぐにでも手を打つべきところ、冒頭の官房長官発言でも分かる通り、日本政府は「動向を注視」するに留まる。その間にも、中国は強(したた)かに成果を上げているのだ。

 東大名誉教授ながら、「千人計画」で中国トップの北京大学と並ぶ最高レベルの大学として知られる清華大学丘成桐数学科学センター教授となった二木昭人氏(66)はこう話す。

「優秀な人が、日本で早く安定した職に就けるようにする必要があると思います。私が若い頃は、国公立の大学教員は教官と呼ばれ公務員でしたから、職を持てば定年まで身分保証があった。しかし、国立大が法人化されて就職時の約束は形式上、反故にされてしまった。現在は短期的に成果の上がる研究を繰り返すことを余儀なくされ、腰の据わった深い研究をすることは難しくなってしまいました」

 同様に「千人計画」で長春理工大学の特聘教授となった富江敏尚氏(69)は、

「産業技術総合研究所時代の教え子に、中国人がいました。母国に帰って研究室を持つようになってから、“先生が定年になったら迎え入れたい”と言ってくれていた。中国には先生を大切にする文化があるようで、恩返しをしたいと思ってくれたのでしょう。私が定年を迎える頃に、たまたま『千人計画という制度がある』という話になって、自分の知識や経験を役立てることができたらと思い日本を離れました。中国の大学では教え子の研究室のレベルが上がるように、指導やサポートを行っています」

 本来なら日本で後進の育成にあたるはずだった優秀な研究者らを、言葉巧みに中国が奪っていったことで何が起きたか。20年前、我が国の自然科学系の論文数は、アメリカに次ぐ世界2位を誇ったが、今や1位は中国。2位はアメリカ、そしてイギリス、ドイツと続き日本は5位に転落したのだ。むろん論文は数のみならず「質」も重要だが、目安となる「引用数」でも大幅に低下する始末。材料科学の分野に限っても、およそ20年前は東北大が世界1位だったところ大幅に順位を下げ、代わりにトップに立つのは中国科学院である。

コピー代もままならず

「人口あたりの論文数の推移で見ても、欧米に韓国を加えた主要先進16カ国の中で日本は最下位です」

 と解説するのは、『科学立国の危機 失速する日本の研究力』の著者で鈴鹿医療科学大学学長の豊田長康氏(70)。

「人口の少ない台湾や香港も含めたデータだと、日本は38位で東欧の旧社会主義国であるスロバキアやセルビアと同等でした。日本で学術論文を生産してきたのは圧倒的に国立大学ですが、中小の国立大、特に理工や数理系分野では、ピーク時から20%も落ちている。ノーベル賞受賞者は東大や京大の出身者が多くいますが、iPS細胞の山中伸弥教授は神戸大出身で、青色発光ダイオードの発明者・中村修二教授も徳島大OB。旧帝大以外の国立大からも、輩出してきたわけです」

 ところが、04年に国立大学が法人化されて以降、文科省は「選択と集中」をスローガンに掲げ、旧帝大などトップの大学に偏って「競争的資金」を投入してしまう。文科省から全国の国公立大学に配られていた運営費交付金も見直され、減額されてしまったというわけだ。

「運営費交付金の削減は、日本の研究力に大きなダメージを与えたと言っていいでしょう。そもそも論文生産数は、旧帝大も中堅国立大もほとんど変わりはありませんでしたが、『選択と集中』によって資金配分が見直され、日本の論文数は増えるどころか減り、国際競争力が低下しました」(同)

 科学立国を担う国立大の現状は、貧すれば鈍すると言っても過言ではない。

 植物分子遺伝学が専門で静岡大学農学部教授の本橋令子氏(53)に聞くと、

「国からの運営費交付金は研究室にとっての基礎体力。それが法人化以降、半減かそれ以下になりました。私の研究室では年間25万円くらいしか貰えず、コピー代もままなりません。学生からプリントはカラーの方が見やすいと言われても、予算が足りないとインク代は持ち出しになってしまう。それで仕方なく白黒で刷るしかないのです」

 大学との決まりで研究室の電気代は半額自己負担、実験用マウスの飼育室や植物の栽培室にも「スペースチャージ」、つまり場所代を支払わなくてはいけなくなった。お金がないことで、学生への教育にも余裕がなくなっていると明かすのだ。

「試薬代などで1回5千円かかるような実験だと、予算の都合から学生には“失敗しないでね”とつい言ってしまう。大きな発見には、膨大な失敗や偶然の結果から生まれたものが多くある。本来は学生の思いつくまま、自由な発想で実験をさせてあげたいのですが、予算不足で叶いません」

 岡山大学に8年ほど籍を置き、現在は京都薬科大薬理学分野教授の田中智之氏(50)は、こう話す。

「日本の研究環境は急激なスピードでやせ細っています。東大で予算が潤沢な研究をしていた若い研究者が、仮に地方へ移ったとしても結果を出し続けることがかつてはできた。そこに留まり研究者として出世したり、また東大に戻るなど国内における人材の良い循環が生まれていた。ところが『選択と集中』の結果、一度でも地方の国立大などに移ると成果を出すことは難しい。人材市場が循環しなくなって、日本人が自分たちの力で若い世代に教育を施せなくなってきています」

 なぜ日本は国立大に大鉈を振るい、中国を利する結果を招いたのか。その当事者に尋ねると、耳を疑う答えが返ってきた。

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