気が付けば彼女に1年間も鏡を見せていなかった……──在宅で妻を介護するということ(第11回)

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訪問入浴の看護師さんに「散髪」をお願いする

 良くもならなければ悪くもならない。ただ、毎日淡々と介護する日々が2カ月も続くと、さすがにジレてくる。医師に「このボーっとしている状態、何とかなりませんか」と直訴したところ、採血してみることになった。電解質異常が意識レベルの改善を遅らせている可能性もあるという。

 そういえば病院を出て以来、検査と名のつくものは一度もしていない。寝たきりの介護の日々の中でできる医療は血液検査くらいのもの。何か別の病気が潜んでいるかもしれない。それならそれでハッキリさせたほうがいい。いつまで続くか分からないこの踊り場状態に、私はストレスと焦りを覚えていた。

 採血の結果が出た。異常なしだ。医師いわく「退院時に比べ栄養状態が改善されています。しかし、主要な数値は『在宅』開始時と大きく変わりません。ここはひとつ長い目で見ましょう。少~しずつ、少~しずつ確実に良くなってきてはいますから」というものだった。

 私にとっては期待外れの結果となったが、もともと介護は忍耐の同義語のようなもの。単調な毎日にいら立っているようでは先が思いやられる。3年、5年先を見据えて気長にやらねばと自分に言い聞かせ、あらためて持久戦への覚悟を固めた。

 そんなある日、訪問入浴の女性スタッフが散髪をしてくれた。入退院を繰り返すあたりから美容院には一度も行かず、妻の髪は肩近くまで伸び放題。首のうしろまで回り込んですごいことになっていた。口ヒゲ(女性でも生えると初めて知った)はシェーバーをあてて気をつけていたが、髪となると私の手には負えない。寝たきりで美容室に通えない場合、千葉市の場合、「高齢者訪問理美容サービス」があることは知っていた。補助券も発行されるが、伸びた分を切ってそろえる程度でいいので躊躇していたのである。「こんな場合どうします?」と女性スタッフに聞いたところ、「素人のカットでよければ」と二つ返事で引き受けてくれてくれたのだ。

 ハサミではなく、市販の電気バリカンセットによる簡易調髪ではあったが、とてもきれいな仕上がりだった。「見てごらん」と妻に手鏡を渡すと、片手では持てず両手で何とか支え、自分の顔を映してこう言った。

「ずいぶん痩せたね、私……」

 カットの出来を言うとばかり思っていた私は、この言葉にハッとした。そう、家に戻ってから一度も鏡を見せたことがなかったのである。彼女にとってはそれが、たぶん1年ぶりに見る自分の顔だった。

 それからは、おむつやティッシュの近くに手鏡を置き、入浴後などに必ず見せるようにした。化粧をしてあげることはできないが、スキンケアのためにニベアを塗ってやることくらいはできるだろう。男の介護とは所詮こんなものだ。うまくやっているつもりでも、どこか大きく欠落した部分があるものなのである。

平尾俊郎:1952(昭和27)年横浜市生まれ。明治大学卒業。企業広報誌等の編集を経てフリーライターとして独立。著書に『二十年後 くらしの未来図』ほか。

2020年10月22日掲載

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