ノブコブ徳井が相方・吉村との20年を語る 「殺意」はやがて「感謝」になった…

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2度目の“解散”を止めたものとは

 次の解散騒動は結成8年目くらいだったろうか。

 原因はもう覚えていない。だが当時のマネージャーも同席していたので前回のようなノリとか勢いではなく、お互いにしっかりと「解散しよう」と思っていたんだと思う。

 当時「ラ★ゴリスターズ」というお笑いユニットを組んでいた。ハイキングウォーキング、ピース、イシバシハザマと僕らの4組でコントやトークをする臨時同盟だ。

 そのユニットでCMもしていた。だから解散となると、そのCMの違約金が発生するから会社として認めるわけにはいかない、と当時のマネージャーは言った。

「じゃあそれを払うから、幾らか教えてくれ」

 僕が言ったのか吉村が言ったのかは記憶にないが、当時のマネージャーを二人で問い詰めた。だが「それは教えられない」の一点張りで、結局その場で解散ということにはならなかった。

 きっとCMの違約金の額を教えなかったのは、僕らの解散を止めるためだったんだろうな、と今は思う。というか、CMもしっかりとしたものではなかったので、そもそも違約金などなかったのかもしれない。ともかく、その当時のマネージャーじゃなかったら、きっとあの時平成ノブシコブシは解散していたと思う。

売れたい相方、面白いと思われたい自分

 コンビ結成10年、M-1グランプリの参加資格ラストイヤーを迎えた。2022年現在は結成15年以内がラストイヤーだが、当時は結成10年がM-1グランプリの最終エントリーの年だった。

 コンビを組んで10年やっても芽が出なかったら辞めたほうがいい―M-1の生みの親である島田紳助さんのそんなメッセージがこめられた結成10年という縛り。僕らも他のコンビと同様、決勝に出る為のネタ作りに勤しんだ。

 そこで方向性による揉め事が度々起きた。大雑把に言えば吉村はとにかく「売れる為」、僕は売れるよりも「面白いと思われる為」のネタを作りたい。……二人の溝はドンドン大きく深くなっていった。

 だがこれは、どのコンビにも起きることだ。お笑いの大会で賞を獲る為に作品を生むのは間違っている、と今でも思う。結果、賞を獲ったなら、それは素晴らしいことだが、狙いにいって獲った賞に価値はない(長くなるのでこの話はまた別の機会に)。

 ともあれ結果、平成ノブシコブシは一度も決勝に行けず、M-1グランプリから消えた。

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