米大統領選「無法と無秩序」広げる「法と秩序」の「魔力」

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 “law and order(法と秩序)”――。

 米大統領選挙のキャンペーンで、トランプ陣営がこのフレーズを繰り返す理由が、私を含めて、米国人以外にはピンと来ないように思える。

 いや、現地発のニュースを見ていると、一応の説明は受ける。黒人差別への抗議活動“Black Lives Matter(BLM)”の一部が暴徒化していることに対して白人社会が不安感を募らせ、ドナルド・トランプ大統領が、

「(ジョー・)バイデンは過激な左派の暴徒たちに甘い、『法と秩序』を重んじる自分でなければ治安は守れない」

 とアピールするのは効果があるのだ、と。

 だが、この論理には根本的な瑕疵がある。

 現在の大統領はそのトランプ氏なのだ。

「民主党の知事たちが連邦軍の投入を妨げている」

 といった主張もしているが、それでも、「トランプ政権のアメリカ」で暴動(そうなった抗議活動は全体のごく一部だ)は起きているのであって、「バイデン政権のアメリカ」ではない。つまり、「自分が大統領ならアメリカは安全」だというなら、そもそも暴動は起きていないはずなのだ。

「法と秩序」のスローガンは、そうした瑕疵を覆い隠してトランプ大統領への支持を固める上で、一定の効果がある。私には、「法と秩序」は米国では何やら特有の「魔力」を持っているように思えてしまう。

米国史の中の「法と秩序」

 多く指摘されているのは、トランプ陣営が1968年の大統領選挙におけるリチャード・ニクソン陣営(共和党)の戦略に倣ったことだ。

 この年、公民権運動を率いていたマーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺され、激高した黒人たちによる抗議活動が、全米各地で暴動へとつながっていた。2020年と似通った年での大統領選だったわけだ。

 ニクソン氏は「法と秩序」を自分はもたらすと連呼し、治安への不安感を募らせた白人社会に強く共鳴し、当選への一助となった。とりわけ、経済成長の波に乗って相次いで誕生していた、郊外の一戸建て住宅地に暮らす人たちの票を固める上で効果的だったとされる。

 が、米国の歴史研究家は、最初に「法と秩序」が政治的な動きに登場したのは、1830年代に投票権の拡大を求める運動まで遡る、とする。その後も19世紀中は、奴隷制を擁護する「法と秩序党」という政党が出現したり、禁酒を推し進める上でのスローガンとして使われたりしたという。

 このように、「法と秩序」は米国史に様々な意味合いで繰り返し現れた上で、1960年代以降は「犯罪との闘い」という文脈に落ち着き、政治に頻出するようになる。1964年の大統領選挙で共和党のバリー・ゴールドウォーター候補が選挙キャンペーンで用い、次の68年にはニクソン陣営も使った。

 1988年の大統領選挙で、共和党のジョージ・ブッシュ(父)候補は「法と秩序」という言葉は用いなかったものの、かなり露骨に「黒人」と「犯罪」をリンクさせた。

 狙いを定めたのは、対立候補のマイケル・デュカキス氏がマサチューセッツ州知事を務めていたときに存在した、刑務所からの一時的な出所制度。その制度によって出所した黒人受刑者ウィリー・ホートンが、白人女性をレイプするなどした事件が起きたのだ。

 ブッシュ陣営はホートンの顔写真をテレビ広告に取り入れ、受刑者たちが回転扉を出入りするイメージ映像を加えることで、

「デュカキスは犯罪者(それも主に黒人犯罪者)をどんどん出所させる」

 というレッテルを貼った。この広告は「ウィリー・ホートン広告」と呼ばれるようになり、米大統領選挙史上、最も人種差別的だという指摘がある。私もネット上に残っているこの広告を見たが、現在なら間違いなく放送禁止だ、というのが感想だ。

 皮肉なことに、4年後の大統領選挙で、ブッシュ大統領は民主党のビル・クリントン候補から、

「治安を改善するという約束を果たせていない」

 と攻撃され、敗れる一因となる。珍しく民主党が「法と秩序」を選挙戦に動員した例とされている。

 歴史の検証が長くなってしまったが、つまり、「法と秩序」はトランプ大統領の専売特許では決してなく、米国史に深く根を張ったスローガンであることが分かる。

 もうひとつ付け加えると、米国では1990年から『NBC』で放送が始まった警察・検察ドラマ『法と秩序(“Law & Order”)』がとても高い人気を博した。いくつものスピンオフ作品が誕生し、現在も放送中だ。「法と秩序」という言葉のステータスを引き上げるのに大いに貢献したように思える。

「犬笛」効果とその副作用

 米国史に何度も登場してきた「法と秩序」が「魔力」を持っていることは、今回の大統領選挙を分析している米国の政治専門家たちも異なる言葉で説明している。

「犬笛(“dog whistle”)」効果というものだ。

 人間には聞こえないが犬には聞こえる高周波の犬笛のように、大々的には言えない差別的なメッセージを、特定の政治的な層にはピンとくる表現で伝えることを指す。「密やか」なメッセージ伝達である。

 トランプ陣営の「法と秩序」連呼は、1960年代の共和党と同じく、郊外の一戸建て住宅に暮らす比較的裕福な白人たちへの「バイデンのアメリカは安全でない」という「犬笛」なのだという。私には、BLMに対するトランプ大統領の侮蔑的な発言を考えると、「密やか」な伝達ではなく、むしろ「露骨」だと感じられるが、いずれにせよ、トランプ陣営の支持固めには役立っているという。

 が、「犬笛」には深刻な副作用があることも明確になってきている。保守派の人々の武装化や自警団結成、さらには白人至上主義者や極右集団の増長だ。

 大統領選挙の1回目のテレビ討論で司会者から「暴力を広げないために退く(stand down)よう呼びかけるか」と促されたのに、トランプ大統領が「準備せよ(stand by)」と真逆のメッセージを口走ったことで有名になってしまった武装極右集団「プラウド・ボーイズ(“Proud Boys”)」。『NHK』ワシントン支局の取材班が9月末にオレゴン州ポートランドで4カ月以上も続く人種差別への抗議デモを取材した際、そこから車で10分ほどの場所で彼らも集会を開いていた。迷彩服に防弾チョッキ、もちろん手には銃といういでたちの参加者が多い。

 しかも、そこには、「プラウド・ボーイズ」の構成員ではない人々も少なからず合流していた。そのうちの1人、隣接するワシントン州から車で2時間かけて来たピーター・ディアス氏(37歳)は、普段は中古のオフィス家具を販売している。従来は政治に関心がなく、投票したことすらなかったというが、BLMの抗議で暴動や放火が起きたというニュースを繰り返し見るうちに、自らの中で怒りと危機感が強まったという。

「街に火を放つことが人種差別をなくすと考えているのか? 理解できない」

 そこにトランプ大統領が強調する「法と秩序」のスローガンが響いた。ディアス氏は防衛のための盾を手作りするようになり、「プラウド・ボーイズ」の集会参加者たちに配るという行動に駆り立てられた。ディアス氏は言う。

「私を極右だと言う人がいるが、違う。“心配する一市民”なだけだ。他の人々は怖くて行動を起こせないのかもしれないが、私は信念のために立ち上がる」

 ディアス氏は、射撃訓練にも熱を入れるようになり、近所の子どもたちにも撃ち方を教え始めた。家族を守るために銃を使う場面も起き得ると感じたためだ。

「毎日のようにテロリストが放火しているため」

 と彼は主張するが、それは相当な誇張だ。

 彼の行動はさらに広がっている。ウィスコンシン州で自警団を名乗る17歳の少年が人種差別への抗議デモの参加者に発砲して2人が死亡した事件をめぐって、少年の行為は正当防衛だったと考えるディアス氏は、少年と家族を支援すべく寄付を募り、これまでに日本円にして約800万円を届けたという。

「この国を守るために必要なことは何でもやるつもりだ」

 と意気込みを語るディアス氏。「法と秩序」というスローガンが米国でまとうようになった独特の「魔力」は、むしろ現在の米国に無法と無秩序を広げようとしているのではないだろうか。

池畑修平
『NHK』報道局記者主幹、BS1『国際報道2020』キャスター。1969年生まれ。1992年東京外国語大学卒業、『NHK』入局。1998年報道局国際部、韓国・延世大学に1年間派遣。ジュネーブ支局で国連機関や欧州・中東情勢を、中国総局(北京)では北朝鮮や中国の動向を取材。2015年~2018年ソウル支局長、南北関係や日韓関係、朴槿恵大統領の弾劾から文在寅政権の誕生、史上初の米朝首脳会談などを取材。著書に『韓国 内なる分断』(平凡社新書、2019年)

Foresight 2020年10月14日掲載

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