床からベッド、たった50cmが持ち上がらず途方に暮れる──在宅で妻を介護するということ(第10回)

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早過ぎた車いすの導入

「車いすはまだ早いでしょうか。ベッドに寝てばかりでは筋力が落ちる一方だし、車いすに乗れたらテレビも見られます。目からの刺激も脳の活性化に必要じゃないですか」

 1月下旬、容態が安定しすべてがいい方向に向かっていたことで、強気になった私は、訪問リハビリの理学療法士に車いす導入を提案した。今考えると明らかに時期尚早。女房はようやく端坐位(イスやベッドの端など、高さのある座面に腰掛けた姿勢)がとれたころだった。

「まだ早いとは思いますが、ヘッドレストがついていてリクライニング式の車いすなら可能でしょう」

 いつになく積極的な私の提案に水を差したくはなかったのだろう。理学療法士もやめろとは言わなかった。私自身、まだ乗せる気はなかったがここまでくると時間の問題だ。操作に慣れる時間も必要だろうと、ややフライング気味ではあったが、ケアマネ経由でレンタル業者に注文した。

 2月4日、おしゃれな車いすが到着。ティルト機能(おしりや太ももにかかる体重を、背中や腰に分散できる)、リクライニング機能がついた高額(購入価格21万8千円も、介護保険のレンタルで月800円)の車いすだ。早速、ベッドのわきに横付けしたり、狭い通路で方向転換してみるなど、操作性を確認してみた。

 実際に乗せるのは、訪問リハビリが入る日だ。一人でやるのは危険だと肝に銘じていたのだが、新品の車いすを見ているうちにガマンできなくなった。それまで私は、車いすを押したことはあったが移乗経験は皆無だった。そこでYouTubeを開き、移乗講座の類を勉強。その通りやってみた。

「なんだ、大したことないじゃないか」。

 想像していたより簡単で、逆の動きとなる車いすからベッドへの移乗も難なくできた。事件は、それから1週間後、また自分一人で乗せたときに起きた。

 妻を端坐位にし、脇の下に両手を入れて持ち上げつつ回転したのはいいが、車いすとの距離が若干離れていたため、かなり浅目の腰掛けになってしまった。もっと深くしなければと体勢を整えようとした瞬間、女房の腰が椅子からズルっと滑り落ちてしまった。

 あわてて持ち上げたがもう遅く、腕が万歳しかかっている。無理やり持ち上げて体にへんな負担をかけるより、ここはいったん下ろすしかないと判断し、床に寝かせた。これがいけなかった。

 そこからが全く持ち上がらない。テコでも動かないとはこのことだ。泥酔した同僚を運んだ経験のある人なら分かってもらえると思う。手にも足にも全く力が入らない場合、人間はとてつもなく重い。床にころがしたサンドバッグを持ち上げるようなものだ。

 たかだか50cmのベッドの高さが持ち上がらない。何度もトライしたが、上半身を起こすのが精一杯だ。しばし途方に暮れた後、最後の1回のチャレンジをした。片膝をつき、女房の背中の下に無理やり膝を割り込ませ、頭と足を渾身の力で持ち上げベッドに押し上げた。力を入れ過ぎて、頭の血管が本当にブチ切れそうだった。

 後日、この件を理学療法士に話すと、「よく一人で持ち上がりましたね。床に下ろしてしまうと僕らでも大変ですよ」と、妙な感心をされてしまった。

 ベッドから車いすの移乗、車いすからベッドへの移乗は、足腰や両腕にある程度力が入る人でないと難しい。女房のように、両足を全く動かすことができず、車いすの肘掛けをつかむことすらできない全介助の人の移乗は、特に初めての場合、専門家の監視の下で行わねばならない。

 これに懲りて車いすはしばらくお預け。介護に焦りは禁物と身をもって学んだ。次に彼女を車いすに乗せたのは、それから3カ月後のゴールデンウイークのころ。来たばかりの新品の車いすはそれまで仕事部屋の一角に置かれ、もっぱら飼い猫の元気くんの寝床として愛用された。

平尾俊郎:1952(昭和27)年横浜市生まれ。明治大学卒業。企業広報誌等の編集を経てフリーライターとして独立。著書に『二十年後 くらしの未来図』ほか。

2020年10月8日掲載

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