「ルビー・モレノ」をスカウトした 「稲川素子」が明かす86年の波乱万丈な人生

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「稲川さんに頼めば、良い外国人が見つかる」と口コミで

――食糧事情も改善して徐々に健康を取り戻した稲川さんは23歳の時に、三井鉱山に勤務していた稲川長康氏と結婚。2歳10ヶ月からピアノの英才レッスンを受け、後にプロのピアニストとして米国に渡る一人娘の佳奈子さんの教育に力を注いだ。そんな生活に転機が訪れるのは50歳の時だった。

 娘が、日本テレビのドラマにピアニスト役で出演する事になって、その撮影現場で監督とプロデューサーが、「今度制作する映画でフランス人を起用したいのだけど、なかなか見つからなくて困っている」と話しておられるのを小耳に挟んだんですね。

  とても困っていらしたようなので、つい「フランス人の友達なら1人います」と言ってしまったんです。

 すぐに紹介してほしいという運びになったのですが、その友達は既に帰国していました。

 ただ、その時、監督たちに「申し訳ありません。お役に立ちませんで」と言ったならば、今の私も会社もなかったでしょう。

 自分で探してみようと日仏学院に電話したところ、演出家で元俳優という経歴の方が見つかったんです。

 この方の演技がすばらしくて、「稲川さんに頼めば、良い外国人が見つかる」と口コミで広まり、あちこちから依頼が来るようになりました。

 最初の2年間は紹介料も一切いただいていなかったんです。そのうち「何か問題が起こった時に、労働大臣(現厚生労働)の許可を取っていないと、ご主人が会社に辞表を出さざるを得ない事態になりますよ」と助言を受け、慌てて大臣の許可を取って、1985年4月に「稲川素子事務所」を設立したのです。

ルビーは今、本当にまじめに頑張っていますよ

 ところが、計画的にやった事でもないので、所属タレントはゼロ。仕事は次々といただくんですが、供給が間に合わない状態。

 これは自分でスカウトするしかないなと思い立って、六本木の交差点に立って「ジーッ」と行き交う外国人を見て、「この人は」と思えば片っ端から声を掛けましたね。

 黄金期だったディスコもスカウトするには最適でした。お立ち台に立って踊ると、全体を見渡せるので、いつもお立ち台の上から「誰か良い人いないかな」って探してましたね。

 ある時、社長の役を探してほしいと依頼があって、いつものように街中で探していました。
スカウトはまるで警察官の張り込みのようなものです。

「この人は社長にはちょっと若いから、部長かな」なんって見ているうちに、「あの人なら社長そのもの」っていう人がいたんですね。

 それで話しかけてみたら、本当に有名なタイプライターメーカーの社長だったんです。

 そんな事が何回もあって、私はその人の顔は、その人の「人生の履歴書」なんだと考えるようになりましたね。

――現在も148カ国・約5000人の登録があるという稲川事務所。稲川さんが発掘しスターに育て上げた1人が、女優のルビー・モレノだ。映画「月はどっちに出ている」(1993年)で、ブルーリボン最優秀主演女優賞を受賞するなど、多くの賞レースを制し高い評価を受けながらも、一時は金銭問題や仕事のドタキャンを繰り返す「トラブル女優」としても話題になった。

 ルビーは今、本当にまじめに頑張っていますよ。

 だから昔のことはもうあまり言いたくありません。彼女もきっと、そう思っているでしょう。

ルビーが私を訴えて、裁判所で再会することになりました

 最初に出会ったのは、フィリピン人の女の子たちが共同で暮らしていた部屋だったんですけど、ルビーはちょうど寝ていて、その寝顔がバンビちゃんみたいに本当に可愛かったんですよ。

 エキストラに出してみたら、どんどん人気が出てドラマや映画で活躍するようになったんだけど、だんだんわがままになっちゃってね。

 問題が絶えなくなって、突然フィリピンに帰ってしまいました。

 しばらくすると、なんとルビーが私を訴えて、裁判所で再会することになりました。

 こちらが訴えるなら分かるんですが(苦笑)裁判所に行きましたら、ルビーが私を見つけて、相変わらずとても可愛い笑顔で盛んに手を振っていました。

 ルビーと弁護士が先に法廷に入って、終わると私と顧問弁護士が呼ばれました。

 そしたら、裁判官が「訴えが取り下げられているので、この訴訟は無効です。理由は訴える根拠がないということです」って言ったんです。

 家に帰ると、ルビーから「会いたい。裁判でもしなきゃ素子さんに会えないと思った」と電話が来ました。

 それで話し合いの場を持って、「人に迷惑を掛けたらごめんなさい、お世話になったらありがとうと言う」と条件を出して、「もう一回頑張ろう」と伝えました。

 その時、ルビーは机に手をついて「素子さんごめんなさい。ご迷惑をかけました。これからのルビーはもう違うよ」と言ってくれました。ちょうど放蕩娘が帰って来たときのように、何もかも嬉しさに変わりました。

 現在はルビーの息子さんも大きくなったので、きっと親孝行をしてくれますよ。素晴らしいご主人とも巡り会えて、これからの人生は、家族の幸せを大切にしてほしい。

 ルビーの人生の前半は波瀾万丈でしたが、後半は和やかな幸せな一生を送れるよう祈ってます。そしてもう一度、アカデミー賞を取るような名演技を皆に見せてほしい。

鋭利なハサミを脚に突き立て睡魔と戦った

――がむしゃらに働き事務所を育てた稲川さんは65歳で、新たな挑戦を始めた。一念発起して、かつて病気で中退した慶応義塾大学文学部に再入学したのだ。

 最後まで大学を終えられなかったことがずっと気になっていたんですが、いざ始めてみると、仕事と学業の両立はとても大変でした。

 例えば、これをパスすれば卒業論文の指導を受けられるという英文法のテストの前日。外国人タレントがロケ現場に遅刻して、撮影が飛んだことがありました。

 必死にお詫びして、家に帰ったのは夜中の12時半。机に向かいましたが睡魔におそわれ、モーツァルトが眠らない為にナイフを脚に立てて作曲をしたという逸話を思い出したんです。

 私は鋭利なハサミを脚に突き立て睡魔と戦ったんですが、ハサミのことばかりが気になってうまくいきません(苦笑)。

 そこで、20センチくらいの蜂蜜付けの朝鮮人参を刻んで全部口に押し込み、栄養サプリメントを15個も飲んで机に戻りました。

 そしたら、自分では気がつかないんですが、ハイテンションになって、大声で独り言をいいながら例文を覚え続けていました。

 ふと時計を見ると午前9時、試験開始は9時半。飛んでいって、何とか試験を受けることが出来ました。覚え立ての記憶が功を奏し、A評定で合格したので、卒論も無事に書き上げ、70歳で卒業できました。

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