菅首相で「拉致問題」「日朝交渉」はどうなる? 「進展する可能性あり」と言われる根拠

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経済制裁担当の過去

 許宗萬議長は強いショックを受け、総会を出る時は歩くこともままならなかった。2人の男が両脇から抱えるようにして許議長を退出させたという。

「許議長は、拉致問題の解決、日朝国交正常化に消極的だったとされています。日本の首相が交代したタイミングで、北朝鮮も総連トップを交代させました。この人事が日本政府に対する『交渉を再開させましょう』という北朝鮮のメッセージであることは言うまでもありません」(同・重村教授)

 あまり知られていないが、菅義偉という政治家は、拉致問題解決の取り組みで、永田町で頭角を現してきた。政治を担当する記者が言う。

「2000年代、菅首相は自民党の拉致問題対策本部で、『対北朝鮮経済制裁シミュレーション・チーム』の座長に就任、独自の制裁案をまとめたことで安倍前首相の信頼を得ました」

 第1次安倍政権では総務相に就任すると、06年にNHK短波ラジオ国際放送の放送事項に対して命令を下した。

NHKに命令

 どんな命令だったのか、前出の記者が解説する。

「放送事項に『北朝鮮による日本人拉致問題に特に留意すること』を追加させたのです。政治による放送への介入と批判の声が上がる一方、日本が拉致問題に対して断固たる姿勢を示したと評価されました」(同・記者)

 そして14年、官房長官として、北朝鮮との「ストックホルム合意」に携わった。

「北朝鮮は『拉致問題は解決済』との態度を改め、特別調査委員会を設置。拉致被害者だけでなく、日本人行方不明者の全面的な調査を行うと約束します。今度こそ拉致問題が解決するのではないかと期待が高まりました」(同)

 この合意をとりまとめるため、外交官や官僚と共に奔走したのが、当時の菅官房長官だったのだ。

 だが、ストックホルム合意は16年2月に北朝鮮が核実験と弾道ミサイルを発射したことで事実上の破棄となった。菅首相にとっては苦い思い出であるのも事実だろう。

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