「V6」勤続25年…結婚率の高さ、個人活動、アイドルの領域を広げてきた軌跡

エンタメ 芸能 2020年9月22日掲載

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世界的に見てもバックストリート・ボーイズとV6くらいのもの

 1995年9月。それは、日本の男性アイドル史の転換点だった。しかしあのとき、それに気づいていた者は誰ひとりいなかったはずだ。25年が経った今、あの9月を振り返ってみて「あのときが転換点だった」と言える類のものである。V6が結成されて四半世紀。6人に軌跡を辿る。

 1995年9月3日。光GENJIが最後のライブを行い、解散した。

 そしてその翌日、1995年9月4日。V6が結成され、デビュー会見が行われた。

 ジャニーズのグループが解散し、新たに別のグループが誕生する。それまでも続いてきたサイクルの、ひとつの終わりと、ひとつの始まりが起きただけのように思えるかもしれない。その新たな始まりは、またほどなくして終わりを迎えるのが常だった。

 しかし、あれから25年。V6は、終わらずに続いている。

 メンバーを変えずにこれだけの期間活動を続けている男性ボーカルダンスグループは、世界的に見てもバックストリート・ボーイズとV6くらいのものである。

 もちろん、ジャニーズのアイドルとしても、珍しいことだ。

 80年代にデビューしたシブがき隊は6年、光GENJIは8年。

 1991年にデビューしたSMAP以降は、活動年数は飛躍的に延びたが、そのSMAPは2016年で解散。V6デビューの前年、1994年にデビューしたTOKIOは、山口達也の脱退に加え、先日、長瀬智也が脱退を発表し、来年以降、形式を変えることになった。

 少年隊も、長く事実上の活動休止状態が続き、東山紀之が「今はなき少年隊」と自虐的に笑いにするほど(*1)。名前は残るものの、先日、錦織一清、植草克秀のジャニーズ退所が発表された。

 つまりV6は、現在のジャニーズの中で、継続的に活動を続けているグループとして最長であり、他に類を見ないグループになっているのである。

 とはいえ「V6はジャニーズの中での王道か?」と問われると、正直そうではないだろう。

 今や国民的アイドルとされるのは嵐だし、故・ジャニー喜多川の精神を体現しようという意志はKinKi Kidsに強く感じられる。

 だが、逆に王道ではない“V6というかたち”が確立できたからこそ、6人の大人がひとつのグループをここまで長く続けられているのではないか、という気がしている。

 前置きが長くなったが、本稿では少し特殊なV6というかたちについて見ていきたい。

10周年を迎えた2005年あたりから、個人活動が増加し始める

 V6の25年をざっくりと分けると、グループとしての知名度を高めていった最初の10年と、個人がそれぞれの分野で活躍しながらV6としても活動をする、という形式を模索し、それが定着した後半の15年、と言えるだろう。

 森田剛が「10周年まで6人でバーっと走り抜けて、それからの10年は、各自やりたいことを頑張って。V6でも集まって」(*2)と語るように、90年代後半は「愛なんだ」「WAになっておどろう」といったヒット曲も出て、レギュラー番組「学校へ行こう!」は高視聴率を記録し、人気を博した。

 そして10周年を迎えた2005年あたりから、個人活動が増加し始める。

 この年は是枝裕和監督の映画「花よりもなほ」の撮影が行われるなど、岡田准一の映画出演が増加。

 また、劇団☆新感線や蜷川幸雄演出の作品に主演するなど、今や実力派の舞台俳優である森田剛が初舞台を踏んだ年でもある。

 岡田准一は同じ2005年を「10年目の時『それぞれが職人のように極めたものを持って頑張ろう』みたいな話があって」と振り返る。(*2)

 それから15年の間の中で、2人以外にも、井ノ原快彦は司会者としてNHKの朝の顔を務めるまでになり、長野博はグルメ本を出すほどグルメを究め、坂本昌行はミュージカル俳優として地位を確立、三宅健は手話を覚えNHK「みんなの手話」のナビゲーターになり、パラリンピック番組のパーソナリティも務めた。

 そう、それぞれが職人として時間をかけて技を磨き、各々の道を究めているのである。

 ちなみに、三宅健が、聴覚障害を持つ女性ファンに手話で話しかけられ、何も答えられなかったことをきっかけに手話を覚える決意をしたのも2005年の10周年記念握手会のときのことである。

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