「異邦人」のヒットから40年 久保田早紀が久米小百合として音楽宣教師になった理由

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 1979年10月のデビュー曲「異邦人~シルクロードのテーマ」が160万枚の大ヒットを記録したものの、85年に芸能界を引退し、現在は音楽宣教師として活動する久米小百合さん(62)が、デイリー新潮の単独インタビューに応じ、芸能人だったころや近況を語った。また、4月に逝去した義父で俳優、ナレーターの久米明さん(享年96)の思い出も明かした。

 久保田早紀のデビューは衝撃的だった。異国情緒に満ちた「異邦人~シルクロードのテーマ」は大ヒットし、160万枚を売り上げた。美貌で美声のシンガーソングライターとあって、中高生の男子を中心にファンが次々と誕生した。

 ただし、久保田早紀が芸能界に存在したのは1979年から84年まで。85年に音楽家・久米大作氏(63)と結婚すると同時に引退し、久米小百合さんになった。

 キャンディーズらをスターに育て上げ、久米さんの担当でもあった元CBS・ソニーのプロデューサー、酒井政利氏(84)は当時をこう振り返る。

「彼女は音楽的下地がしっかりしていました。それだけでなく、声にペーソス(哀感)があり、音階が広いところが良かった。ただ、真面目な方で、芸能界的な世界には抵抗があったようですね」

 現在の久米さんは音楽宣教師として全国の教会を訪れ、「アメージング・グレース」「いつくしみ深き」などの賛美歌や自作の曲を歌っている。また、2011年の東日本大震災後は「東北応援団 LOVE EAST」というプロジェクトの中心となり、音楽とアートを通しての復興支援活動も行っている。
 では、久米さん本人の話を聞こう。

――どうして歌手に?

 小学校6年生くらいから曲を作っていたんです。短い曲から、文化祭で歌えるくらいの長さのものまで。それをプロの方に聞いてもらう機会が一度もないまま、(共立女子)短大まで進み、2年生になった時、ふと「このまま就職してしまっていいのかなぁ」という思いを抱いたんです。
 プロの方に自分の曲を聴いてもらって、良いとか悪いとかを判断してもらいたいと思いました。

――それで20歳だった1978年、CBS・ソニーのオーディションを受けたんですね?

 はい。母親が新聞の広告欄でソニーのオーディションを見つけてくれて、自作の曲を歌ってもいいということだったので、応募したんです。
 正直、歌手になるつもりはありませんでした。「自分の曲の評価をしてもらいたい」という思いだけでした。

――ところがオーディションに合格し、1979年に自作の「異邦人」でデビューされた。

 ええ。あれよあれよという間でした。

――ご自分で付けた最初のタイトルは「白い朝」でしたが、改題されて「異邦人」に。さらに中近東を思わせる前奏などアレンジも加えられましたが、どう思われましたか?

 改題についてはどれくらいの意味のあることか分かりませんでしたが、アレンジにはびっくりしましたね。
 前奏や間奏などは、シンガーソングライターは自分で作りません。歌うところを作るわけですから。前奏などを作るのは編曲家の方のお仕事です。
 最初に前奏などが加わった自分の曲を聞いたときには「ここまで中近東になるんだ……」と思いました。良いとか悪いとかじゃなくって、ただ「えーっ」でした。もとはピアノとギターをポロポロと奏でながら作った曲ですから。

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