71歳で亡くなった「岸部四郎さん」 週刊新潮に語っていた自己破産直後の生活

エンタメ 芸能 2020年9月16日掲載

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 タレントで俳優の岸部四郎さんが8月28日、拡張型心筋症による急性心不全のため、千葉県の病院で亡くなっていたことが分かった。享年71。朝のワイドショー「ルックルックこんにちは」(日本テレビ系)で13年半に渡って司会を務めたが、1998年に自己破産。2003年には脳内出血で倒れ、後遺症で視野狭窄に。その後もパーキンソン病の疑いで入退院を繰り返していた――。

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 岸部さんは京都市出身。キャリアスタートは1969年、沢田研二がボーカルを務め、兄の岸部一徳がベーシストとして所属していた「ザ・タイガース」にギタリストとして加入した。71年にバンドが解散すると、タレントに転向。78年、テレビドラマ『西遊記』(日本テレビ系)に沙悟浄役で出演し、人気を集めた。

 84年10月、沢田亜矢子の後任として『ルックルックこんにちは』の2代目の司会者に抜擢され、朝の顔になる。年収が1億円以上になったことで、放蕩生活が始まる。ポルシェやベンツを何台も買い、アルマーニのスーツを次々と買った。愛人を3人も作り、初版本や陶磁器などに数億円注ぎ込んだ。お金がなくなると、高利貸しなどから借金をしたという。

 借金は5億円以上に膨らみ、債権者は個人、銀行、闇金融など69にも及んだ。『ルック~』を緊急降板し、自己破産を申し立てたのは98年4月のことだった。

金融地獄

 週刊新潮(1999年4月1日号)は、ワイド特集『自己破産「岸部シロー」年収100万円の逃亡生活』で、岸部さんご本人に話を聞いている。当時、以下のように語っていた。

《「当初は都内のホテルを転々としていましたが、最近は、友人所有の神奈川県下のリゾートマンションに、妻とひっそり暮らしています。友人がシーズンオフに使わせてくれると言ってくれたので……」》

 リゾートマンションで“巣籠”生活を続けたというのである。

《「外出すると目立つので、部屋に籠もったまま。毎日、テレビを見て、妻が作ってくれた料理を食べるだけの生活です。ストレスがたまってどんどん食べるので、体重が100キロを超えました。僕は心臓がよくないから、こんなに太っては危険なんですが、降圧剤を打ってしのいでいます」》

 かなり不健康な生活を送っていたようだ。

《「昨年(1998年)10月、自分の体験を書いた『金融地獄』という本を出版し、版元から印税100万円を貰いました。それが、この1年間の私の収入です。その他には、降板後、雑誌やテレビのインタビューに応じて貰った謝礼が少し」》

 1億円以上あった収入が100万円に激減……。

《「最近、女性誌に、私が懲りもせずキャバクラへ通って遊んでいると書いてあったので、当の私が一番驚いているんです。驚くといえば、私の口から言うのも変ですが、テレビのワイドショーは酷いですね。私が降板直後にインタビューに答えた場面のうち、私がふてぶてしく見えるところだけを選んで放映しているんですよ。あれでは、私だって、岸部というのは嫌な奴やなあ、と思ってしまう。芸能界というのは実に恐ろしいところですね」》

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