乙武洋匡氏、面会交流を求めるも“決裂”の理由 元家族の苦しみとは

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「強烈な嫌悪感」

 離婚したとはいえ、実子に会いたいと願う心は、人の親であれば誰しも理解できるところであろう。しかし乙武氏の場合、その心が子どもたちに通じていない。それどころか、彼自身の振る舞いによって、子どもたちは乙武氏への忌避感を募らせているというのだから、自業自得と言うべきか、自縄自縛と言うべきか……。

「今、お子さんたちは、乙武さんに会いたくないどころか、『(乙武氏が)発言している番組とかは観たくない』と、強烈な嫌悪感を持っています」(先の学校事情通)

 とどのつまり、こういうことだ。

 乙武氏が発信をすればするほど、それを目にする子どもたちは「反省していない父親」の姿にイヤな思いを募らせている。乙武氏の表現の自由は、子どもたちを傷つけることによって成り立っている構図になるわけだ。子どもたちをより良い大人へと導くべき「教育者」が、実子の心の傷という代償を払いながら「教育的発信」を続けている……。これほどの皮肉はあるまい。

 事実関係等を尋ねるべく元妻のもとを訪ねたところ、

「私からは何も申し上げられません」

 として、溜め息をつくように一言だけこう漏らした。

「彼にはそれぞれの家庭の事情をよく考えてもらえればと思います」

 一方の乙武氏は、テレビ番組等での冗舌さとは裏腹に、本誌の取材に対しては質問に答えることなく「沈黙」したのだった。

 かつて、乙武氏は離婚の動機についてテレビ番組でこう述べている。

「やっぱり、子どもを一番に守りたいっていうのが強かったと思うんですよね」

 今、彼は子どもたちを守れているのだろうか。

 そして乙武氏は、先の著作をこう結んでいる。

〈私一人にできることは限られているが、それでも社会とはそうした一人一人の集合体だ〉

 そう、乙武氏の長男や次男を含めた「一人一人の集合体」が社会なのである。その「一人一人」の気持ちに、彼はどう思いを馳せているのだろうか。

「教育的発信」を続ける乙武氏。そして、それを重宝がるメディア。今日もまた、乙武氏の「大活躍」が続いている。

週刊新潮 2020年9月3日号掲載

特集「『乙武クン』調停で『元家族』に新たな不幸」より

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