鈴木武蔵がベルギーデビュー 実母が語る“イジメられた少年時代”と“遅咲きサッカー道”

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 8月30日、J1札幌からベルギー1部リーグ「ベールスホット」へ移籍した鈴木武蔵(26)が、スタンダール戦で新天地デビューを果たした。昨季は札幌でチーム一の得点を重ねる大活躍を見せた鈴木だが、日本を代表するFWとして注目を集めるようになったのは最近のことだ。ジャマイカ生まれの鈴木を女手ひとつで育て上げた母親に、これまでの軌跡を語ってもらった。

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 鈴木の母・真理子さんは、群馬県太田市で地域密着型の英語塾「地球塾イングリッシュスクール」を経営しながら、鈴木を育てた。

 ベルギー移籍の第一報が出た直後の8月15日、塾を訪ねると

「まだラインでしか話を聞いていないんで、よくわからないんです。『今から(メディカルチェックを受けるために)飛行機に乗る』って送られてきただけで」

 と言いながらも、取材に応じてくれた。

 鈴木は1994年に、真理子さんと、ジャマイカ人の父親との間で生まれたハーフ。

「20代のころ、私は旅行代理店に勤めながら、バックパッカーをしていたんです。休みになると、東南アジアやインドを一人で貧乏旅行して回る日々でした。あるとき業界誌を見ていたら、『ジャマイカ勤務員求む』って募集広告が目に入り……。実はその直前、仕事でバハマに行って帰ってきたばかりで、それを見た瞬間、『カリブ海が私を呼んでいる!』ってなっちゃったの。すぐに前の仕事を辞め、2週間後にはジャマイカに飛び立っていました。その後、向こうで出会った男性との間で生まれたのが武蔵です」

「お母さん、どうやったら白くなれるの?」

 武蔵という名は、日本人らしく、という思いを込めて真理子さんがつけたという。

「宮本武蔵から取りました。日本人っぽい名前と考えたとき、武蔵しか思いつかなくて……。サムライだし強い感じでいいでしょう。ジャマイカでは、私は日本では考えられないような育て方をしていました。向こうでは5歳でも小学校に入れるんだけど、私はあの子を一人で乗り合いタクシーに乗せて、小学校まで通わせてたの。お金を持たせて、自分でランチまで買わせいました。でも、そのおかげか、小さなころから自立心を育てられたとは思っています」

 2000年に帰国。現在も住む太田市の実家での生活が始まった。

「夫とは別れて日本に戻ってきたので、それからはずっと母子家庭です。私はおカネを稼ぎに外に働きに出ないといけなかったので、子育てはおじいちゃん、おばあちゃんに任せきり。英語塾を立ち上げたのは武蔵が小学校6年生くらいのころで、それまでは夜遅くまで、学習塾や企業の研修など英語講師のバイトを掛け持ちする日々でした。幸い武蔵は小学1年生の入学直前から日本での生活がスタートできました。まだ小さかったからすぐに日本語も覚えて、順応できたんですが、小さいころはよく肌の色でいじめられてね……。『コロッケ』『ハンバーグ』って言ってくる子たちがいたんです。カチンときて鉛筆を投げつけたりする事件も何度かあった。彼に“お母さん、どうやったら白くなれるの?”って言われたこともありました」

 思い悩む息子に母はこうさとしたという。

「“私はあなたの肌の色が大好き。だから、そのままでいいのよ”って。でも、おじいちゃんが、“シッカロール(ベビーパウダー)が効くんじゃないか”なんてことを言うもんだから、真に受けて夜な夜な塗っていたこともありましたね。でも、根がお調子もんだし運動もできたから、そんな苦労も乗り超えて、すくすく成長してくれた。サッカーを始めたのは小学校2年生です。指導者にも恵まれて、特待生で桐生第一高校に進学。卒業後に『アルビレックス新潟』入りも決まりました」

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