懲りない石田純一をバッシングし続ける人々の心理 精神科医の分析は?

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石田純一への羨望

 石田純一に問題があることは明らかになった。次は“石田純一をバッシングする人の心理”を片田氏に解説してもらおう。

「これも3つのポイントで説明ができます。【1】羨望、【2】ルサンチマン(恨みつらみ)、【3】うっぷん晴らし──です。羨望は、うらやましいという気持ちですが、実は他人の幸福が我慢できない怒りなのです。とくに、他人が楽しそうにしている『他者の享楽』は羨望の対象になりやすく、その最たるものが男女関係、肉体関係でしょう。資産家や社会的名誉を持つ人に、私たちは憧れますが、それほどうらやましいとは思いません。ところが、いわゆる“モテ男”、“モテ女”となると、途端に激しい羨望を覚えるのです」

 誰でも心のどこかで「モテたい」と願っている。それを表に出すか、出さないかの違いがあるだけだ。

 だが、そんな願望が実現するのは、ごく一部の“特権階級”だけだ。まして66歳で25歳の女性を宿泊先に連れ込める男性となると──部屋で何をしたかは明らかになっていないとはいえ──更に人数が少なくなるのは間違いない。

「就職氷河期世代も、間もなく50代です。経済的困窮から恋愛や結婚の機会を逃したという人は男女を問わず、今の日本社会で珍しくありません。つまり恋愛や性的関係に対して、数多くの人々が心の奥底にルサンチマンを抱いている可能性があるのです。ところが、自分が石田純一さんをうらやましく思い、ルサンチマンを抱いていても、誰だって認めたくありません」(同・片田氏)

石田純一は“最適”の芸能人

 石田純一への羨望を認めることは、自分がモテないということを認めることになる。つまり、自分は石田より劣っていると自覚しなければならないのだ。

 ちなみに、この劣等感は男女を問わない。女性でも心の奥底で性的に奔放な石田に羨望を抱くことは充分にあり得るという。

「そんな時、羨望の対象を攻撃すると、自分の心の奥に潜む怒りやルサンチマンに目を向けずにすむ。自分の暗く、ドロドロした感情から一時でも目を逸らすことができるのです。こうした精神的プロセスによって、石田純一さんをバッシングする人が生まれるわけです」(同・片田氏)

 バッシングを後押しした社会状況も重要だろう。1つは芸能人が身近になったことだ。映画の全盛期は、男性スターの派手な女性関係が問題視されることは少なかった。まさに雲の上の人で、憧憬の対象だったので、たとえ大衆が羨望を抱いても、叩かなかったのだ。

 もう1つが新型コロナの影響だ。石田純一に対する攻撃と、“自粛警察”の姿が重なって見える人は少なくないだろう。

「この点に関しては、ニーチェが、こう喝破しています。『正義の根底にはルサンチマンがある』と。羨望やルサンチマンを強く感じている人ほど、あるいは心の奥底深くに隠している人ほど、正義感は強くなります。そうした人々にとって、新型コロナウイルスを撒き散らすかのような行動を止めない石田純一さんは、自身のうっぷん晴らしに最適な、まさに貴重な芸能人というわけです」(同・片田氏)

週刊新潮WEB取材班

2020年8月29日掲載

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