コロナで脚光、東京都医師会会長の兄は元「革命左派」 弟に送る言葉
「コロナに夏休みはない。国会を開き、国がすべきことを国民に示し、国民、都民を安心させてほしい」。東京都医師会の尾崎治夫会長(68)がこう訴えたのは先月のこと。会見はSNSなどで拡散され、喝采を浴びている。そんな会長に、医療関係者から「政権に平気で噛みつくあの過激さは兄上の影響?」との声が……。
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近ごろすっかり安倍総理の影が薄くなってしまった。だから、「コロナに夏休みはない」と力強く主張する尾崎会長に疫病を過度に恐れる大衆の期待が寄せられるのも当然か。なにしろ、ドタバタ発進で「Go To」を推進する安倍政権にも、
「経済活動を進めるのは結構だが、感染は抑えるメリハリの利いた施策が必要」
と、ビシッとクギを刺す。そんな姿勢を見て、医療関係者が言うのだ。
「尾崎会長には過激派だった兄上がいるんだって。赤旗日曜版にまで出ているのは兄上の影響かな」
その兄の名前は、たしかに新聞紙上にあった。
〈過激派学生 銃11丁、弾500発を強奪〉
1971年2月17日、朝日新聞夕刊の1面である。
その日未明、栃木県真岡市内の銃砲店に過激派学生6人が押し入った、真岡銃砲店襲撃事件である(のちの判決で奪われた銃弾は2300発と確定)。この初報は6人中2人の逮捕も伝えており、
〈東京・八王子市の横浜国立大学4年で京浜安保共闘の活動家尾崎康夫(23)〉
そう記されている。
社会の医者
京浜安保共闘は、日本共産党革命左派の名称でも知られた、京浜工業地帯の労働者や学生が中心の過激派組織。あの永田洋子が最高指導者だ。のちにこの革命左派と赤軍派が合流して「連合赤軍」となるわけだが、真岡の事件で奪われた銃と銃弾は、合流前の赤軍派による金融機関強盗「M作戦」や、連合赤軍のあさま山荘事件で使われた。その“源流”とも呼べる事件の逮捕者こそ、尾崎会長の兄だったのだ――。
いまも八王子市内に暮らす尾崎康夫さんを訪ねると、
「治夫が弟なのは事実。でも、弟は弟、私は私。結び付けられるのは困る。私は事件で京都の刑務所に9年服役しました。出所以来、ずっとここで静かに暮らしています。親が残したテニスコートの管理人です」
彼の曾祖父と祖父は地元の村長。尾崎家は名士であるとともに、養蚕で財を成した大地主だ。
「大学3年で東大安田講堂事件をテレビで見て共感するまでノンポリでした。サルトルやカミュを読んでいたから実存主義者かな。その後は毛沢東シンパ。京浜安保共闘では戦友たちと活動し、毛沢東の著作集を読み漁った。マルクスなど他の本は処分したけど、毛沢東だけは今も蔵にあります。当時は毛沢東の“権力は銃口から生まれる”との言葉通り、武装は必要と考えていた。教条主義的でした」
現在の弟にも少し触れ、
「会長として言いたいことを言っているみたいだから、いいんじゃないの。昔、私らは社会の医者だと思っていた。社会のおかしい部分、医者でも治せないものを治そうとしていたんだ……」
爾来、半世紀。その激しさは今なお、弟の中にも確かに活きている。