仏頂面「菅官房長官」を安倍首相が絶対に変えないワケ

国内2017年8月7日掲載

菅官房長官は留任

 3日に行われた内閣改造では、事前の予想通り、菅官房長官は留任となった。

 素人目には、記者会見における菅官房長官の仏頂面や素っ気なさすぎる対応が内閣支持率の低下の一因のようにも見えるのだが、玄人筋は早くから「菅官房長官の留任」を断言していた。強面の菅氏に代わる存在はいない、というのが大方の見方だったのである。

 また、さらに言えば、そもそも第二次安倍政権の生みの親が、菅官房長官だということも、関係しているのかもしれない。不本意な形で総理を辞任した安倍首相に、再び総理を目指させたのは、菅氏の「殺し文句」だったのである。『ザ・殺し文句』(川上徹也・著)から、その場面を引用してみよう(文中敬称略)。

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菅氏の殺し文句

 2012年8月、自民党総裁選を1カ月後に控えて、菅は、安倍に出馬するように促していました。第一次安倍内閣で総務大臣をつとめた菅は、いつか安倍を復権させようとずっと時が来るのを待ち受けていたのです。

 この時、党内では「安倍の復権は早すぎる」という声が支配的でした。第一次政権の時の政権運営や退陣の仕方についての批判が根強かったのです。

 安倍自身も迷っていました。ここで総裁選に出馬して惨敗すれば、政治生命はほぼ断たれることになります。

しかも、国民から安倍の総理再登板を求める声はほとんどありませんでした。派閥の後見人である森喜朗からも「今回の出馬はやめておけ。国民から待望論が出るまで待て」と言われていたのです。

 しかし菅は、「待望論は本人が出馬して、政策を訴えてはじめて沸き上がる」という考えを持っていて、まずは出馬すべきだと安倍を必死に口説きました。

「今の日本にこそ安倍さんが必要です。総裁選に立候補すれば、安倍晋三の主張を国民が聞いてくれるんです」 

 それでも安倍はまだ決断できないでいました。そこで菅の殺し文句が発動されたのです。

「もう一度、安倍晋三という政治家を世に問う最高の舞台じゃありませんか? このチャンスを逃したら、次は難しいですよ。この最高の舞台を、みすみす見逃すんですか!」

 菅の熱意に押し切られる形で安倍は総裁選への立候補を決意しました。

 同年12月、安倍は5年半ぶりに総理大臣に返り咲きます。第二次安倍内閣で、安倍は自分を総裁選に再チャレンジさせてくれた菅を、内閣の要である内閣官房長官に任命しました。

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リスクを負って断言する強さ

『ザ・殺し文句』の中で、著者の川上氏は、菅氏の言葉が安倍総理の決意を促すことが出来たのは、「リスクを負って断言する」という殺し文句の法則にかなっているからだ、と分析している。

 実のところ、未来のことなど誰にもわからない。だから、この総裁選がチャンスかどうかも怪しい。あとで「お前の見立ては全然違ったじゃないか!」と文句を言われないとも限らない。しかし、そんなリスクを度外視して、菅氏は「最高の舞台」だと断言した。だからこそ殺し文句として成立した、というのである。

よく似たタイプの殺し文句として、川上氏は豊臣秀吉の軍師、黒田官兵衛の言葉を紹介している。

戦国時代、本能寺の変で織田信長が明智光秀に討たれた時のこと。備中高松城で毛利攻めをしていた羽柴(豊臣)秀吉の陣に、その知らせがもたらされた。主君の悲報を聞いた秀吉は驚き茫然自失になったが、その時、黒田官兵衛は以下のように進言したと伝わっている。

「秀吉様、ご運が開けましたな。天下をお取りなさいませ」

もちろん、官兵衛にしても本当に確信をもっていたわけでもない。しかし不確かな未来を断言したからこそ力強い「殺し文句」になった。茫然自失状態だった秀吉の腹はこれで決まったのである。

秀吉も安倍首相も、殺し文句が背中を押して天下を取った。その相手をむげに出来ないのは人情というものだろう。

デイリー新潮編集部