「神の鳥」が襲われた魔の一瞬を捉えた貴重な一枚 ライチョウがイヌワシに!

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日本のライチョウは人間を恐れない

 北アルプスと南アルプスの、標高2200~2400m以上の高山にのみ生息するライチョウ。今年はコロナの影響で休業する山小屋も多く、人影の少ない北アルプスや南アルプスの山々では、きっとライチョウたちものんびりと羽を伸ばしていることだろう。

 そのライチョウの数が、近年、激減しているという。すでに大正時代には国の特別天然記念物に指定されて保護対象となっており、一定の個体数を守ってきた。ところが1980年代に3千羽弱が確認されていたものが、2000年代初頭には1653羽まで減り(中村浩志信州大学名誉教授の調査による)、2012年には「絶滅危惧種IB」に指定された。

 古来、日本では御嶽山や立山の山岳宗教とも結びつき「神の鳥」として大切に保護されてきた。だから日本のライチョウは、人を恐れない。登山の傍らでライチョウの生態を半世紀にわたって見つめてきた写真家の水越武さんは、そんな日本のライチョウの習性は、世界的にも非常に珍しいと語る。例えばヨーロッパやシベリアではライチョウは狩猟の対象とされるため、水越さんが撮影しようと近づいても、すぐに姿を隠してしまうのだという。

イヌワシの出現と、衝撃の瞬間

 人間はともかくとして、他の生物が生きることを許さぬ過酷な環境下であるがゆえに、天敵に襲われるリスクも少ないともいえるが、水越さんはある日、衝撃的な場面にでくわした。縄張り争いをしていた2羽の雄のうちの片方が、目の前でイヌワシに襲われたのだという。

 ……突然、私の目の前で1羽のライチョウがイヌワシに襲われた。45年ほど前のことで、当時のカメラはオートフォーカスではなく、ピントを合わせるのが大変だった。(中略)音も無く一直線に飛んで来たイヌワシはライチョウを鷲掴みにし、ハイマツの中に突っ込んで行った。(中略)ハイマツの陰に潜んでいたイヌワシと眼が合った。闘争心に満ちた眼は、射抜くように鋭かった。猛禽類の眼を間近で見るのは初めてだったが、金色に輝く中に黒い瞳があった。それは澄んだ、引き込まれるような崇高な瞳だった。(『日本アルプスのライチョウ』水越武 新潮社刊より)。

 これが、その瞬間の写真である。他にもテンやオコジョ、キツネなどもライチョウを襲うことはあるというが、半世紀にわたってライチョウを撮影してきた水越さんにとっても、その現場の瞬間を捉えたのは、この一回限りだそうだ。

孤高の登山家がライチョウに託した「愛のような夢」

 水越さんは子供の頃に母親に連れられて登った御嶽山で、初めてライチョウに出会う。その折、逃げないライチョウに不用意に近づいて、母親にきつく叱られた。

――「この鳥はライチョウといって、神の遣いだから大切にしなければいけない」。「いたずらなどしたら天気が悪くなる」とも言った。

 母の予言は的中した。その日、昼を過ぎると雷鳴が轟き、激しい雨が本当に降り出した。私がライチョウを追いかけたせいかと落ち込んだ。この時、びしょ濡れになって震えながら、ライチョウが神の領域に棲む不思議な鳥だと母から教わった。(同書より)

 また厳冬期、穂高の山小屋にひとり、1週間も閉じ込められて、やっと外に出た時、ライチョウに出会った瞬間のことも記している。

――その時、1羽のライチョウが目に入った。命を拒絶する凍りついた世界をうろついているのは自分一人だけだと思っていたのに、思いがけない仲間に出会い、すっかり嬉しくなった。彼はあの風をどこで耐え、寒さをどう防いでいたのだろう。何を求めてこんな山の上まで登ってきたのか。できることなら言葉をかわしたい、とさえ思った。(同書より)

 水越さんはそんなライチョウの姿に自らの生き様を投影するかのように、ライチョウの写真を撮り続けた。

――いつの日にかこの神秘的なライチョウをとりあげた「物語」をまとめてみたい、という夢が私の中に芽生えた。それは時を経ても変わることのない愛のような夢だった。(同書より)

 そんな想いが結実した写真集、『日本アルプスのライチョウ』には、生態写真のみならず、彼らが生きる日本アルプスの四季折々の厳しくも美しい風景の数々、そしてライチョウの文化史、日本人とライチョウの特別な関係などを、「孤高の登山家」として生きてきた自身の経験に基づいて書き記してもいる。

ライチョウの未来

 盟友にしてライチョウ研究の第一人者である中村浩志氏は、同書の解説の中でこんなことを書いている。

――私にとって水越さんは、孤高の登山家であり、山岳写真家です。かつての日本人が持っていた山に対する畏敬の念を持ち、日本の山岳をずっと撮影されてきた稀有な写真家です。ご自身の山への思いと生き様を、高山にひっそりと、しかし力強く今も生き続けるライチョウと重ね合わせ、撮影を続けられてきた方です。ですので、水越さんのライチョウの写真は、この鳥の美しさやかわいらしさを撮ることに終始して撮影されたものとは異なります。

 中村さんは近年、一度絶滅した中央アルプスにライチョウを復活させようと試みている。この春にも、中央アルプスに飛来した雌の巣に、動物園で得た有精卵を移して、雛をかえすことに成功した。しかし思わぬ新たな天敵によって阻まれた。ニホンザルが出現し、驚いた母鳥が逃げてしまい、雛の体が冷えて死に至ったというのだ。温暖化は、こんな高山の聖域にも確実に影響を及ぼしている。ライチョウの未来は、決して楽観的ではなさそうだ。

デイリ-新潮編集部

2020年8月9日掲載

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