「三浦春馬さん」家族との“絶縁”を招いた両親の金銭トラブル

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「お母さんと絶縁した」

「3、4年ほど前かな。春馬がぽつりと“オレ、お母さんと絶縁した。もう何年も連絡とってないよ”って漏らしたことがあってね」

 そう振り返るのは、地元・茨城で三浦母子と親交があった知人である。

「そもそも、春馬は一人っ子だったけど、中学生になっても親とケンカするような反抗期らしい素振りは一切なかった。母親は陽気で明るい性格。まだ飲めない息子を連れて、土浦の居酒屋をハシゴしていた。店内で春馬が母親の膝枕で眠っている姿を見たという話もあったが、酒好きの母親は必ず酔っ払うし、騒がしい店はタバコ臭い。だから春馬は、“お母さんと夜飲みに行くのがイヤだ”と愚痴をこぼすことはあったけどね」

 事実、三浦が成人して暫くの間、母子の絆は確かだったようなのだ。

「母親は、春馬のことを“ハルちゃん”と言い、彼もまた同様に母親の下の名をちゃん付けして呼び合っていた。仕事がオフの時には、伊豆などへ一緒にスキューバダイビングに行くほど仲が良かった。だから、絶縁したと彼から聞いて、突然の変わりように本当に驚きました」

「継父の籍から抜いてもらった」

 デリケートな親子問題だけに、深入りするのを躊躇(ためら)ったというこの知人は、こんな質問をしたと続ける。

「“親子の縁を切るなんて、大抵はお金が理由じゃないの”って春馬に水を向けてみたら、彼は“そうなんだよ”ってぽつりと呟いて……。母親と離婚した継父に“大丈夫?”と気に掛ける電話をしたという報道を目にしましたが、後で作られた美談だと思いますよ。当時の春馬は、継父に対しても“アイツの顔も見たくない”と言っていたからね。離婚した直後の7、8年前、“速攻で役所に行き、継父の籍から抜いて貰った”とも話していた」

 土浦の実家にも足を運ぶことはなかったという。

「春馬は地元に帰る度に趣味のサーフィンを楽しんでいたから、実家にウェットスーツとか道具一式や私物を置きっ放しにしていた。しかし、実母と継父に憎悪を抱く彼は、二度と家の敷居を跨がないと決意していた。それで趣味の道具を全てイチから買い直したくらい。年末に帰省しても、大晦日や正月はいつも知り合いや友人の家に泊まっていましたから。敢えて自分から、天涯孤独の道を選んでしまったんだなと思いました」

事務所に金を無心

 斯様な「親子の断絶」には、三浦の所属事務所も困惑していたようだ。

 某キー局のディレクターによれば、

「春馬さんの両親は、生活が苦しいからと、息子を通さず事務所にまとまったお金を無心したり、ギャラを上乗せするようマネージャーを呼び出して、社長への口利きを頼んだとか。それを知った春馬さんは激怒。親子は絶縁したという話が流れています」

 当の所属事務所は、

「個別の質問に関する回答は控えさせていただきます」

 と回答するばかり。

 かつては仲の良かった家族との“絶縁”が三浦さんを孤独に追い込んでいたとすれば、これほど悲しいことはないだろう。

週刊新潮 2020年8月6日号掲載

特集「『三浦春馬』動機は『家族問題』」より

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