長瀬智也が「お茶の間」から愛される理由 「普通の感覚」を持ちながらも追い求めた「自分だけのもの」

エンタメ 芸能 2020年8月4日掲載

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 先月、2021年3月でジャニーズ事務所を退所することを発表したTOKIOの長瀬智也(41)。長瀬のTOKIOに対する想いや音楽への情熱については、ジャニーズ評論の第一人者である霜田明寛氏が記事「『長瀬智也』退所、29年のジャニーズ歴で振り返る『音楽への愛』」で分析したが、長瀬のドラマ、バラエティへの想い、ひいては彼が愛される理由を霜田氏の著書『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)から紐解いてみよう。

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「人と同じなのが嫌なんです。人と同じほどカッコ悪いことはない。自分だけのものがいい。そういう作品でないと、取り組む自分も、見る世の中の方も面白くないかなって思う」(「zakzak」2013年11月1日)

尖った個性と親しみやすさの両立

「人と違う自分でいる」ことを保ちながら「多くの人に受け入れられる」こと。はたして相反しそうな2つのことを両立させるのは可能でしょうか。自分の個性を評価されて仕事を始めたはずなのに、いざとなると「それじゃ大衆にウケない」と一蹴される……そんな板挟みに悩む人も少なくないかもしれません。

「人と違う自分でありたい」という意志と一般的な感覚という、矛盾して聞こえるかもしれない2つを両立させてしまっているのが長瀬智也です。個性を貫きながら多くの人に受け入れられている「尖ったお茶の間のヒーロー」に、その秘訣を探ります。

「みんなができることは多分みんながやるから、僕がやってもしょうがないっていう思いは、ドラマでも歌番組に出る時でも、バラエティでも、心のどこかに絶対あると思います」(「TVガイドPERSON VOL.41」2016年1月9日)

 こう語るように長瀬は、その仕事を自分がやるべきか、その意味を強く考えているタイプ。しかし、長瀬の仕事からは、「人と同じなのが嫌」といった傲慢さは感じません。むしろ感じるのは、街中で声をかけられるというのも納得の親しみやすさ。「クンづけ」で呼び合うジャニーズの世界の中で、同じTOKIOのメンバーにも敬語を使うのも真摯な印象で、男性人気が高いのも特徴です。

 長瀬の仕事は、TOKIOとして出演するバラエティの他に、俳優業と音楽活動が主。まずは俳優業、そして音楽、バラエティという順で見ていきましょう。

「テレビドラマは人生を変える」

 俳優業の中でも長瀬の主戦場はドラマで、初めての出演は1993年。その後、17歳で主演した「白線流し」シリーズをはじめ、山田太一脚本の名作「ふぞろいの林檎たち」の最終シリーズや、宮藤官九郎(くどうかんくろう)の初連ドラ脚本作品となった「池袋ウエストゲートパーク」などに、キャリアの前半で出演します。

 そこから、20年以上の間に連ドラの主演作は20本を超える勢いで、ほぼテレビドラマと共に人生を駆け抜けてきたといってもいいでしょう。

 一方、映画の主演作は5本。うち、盟友・宮藤官九郎の監督作品が2本と、あまり積極的ではないことがうかがえます。

「一時期、みーんなドラマから映画のほうに行っちゃったんですよ。それを傍で見てて『ゼッテェ映画界なんか行くか!』って心の中で思ってましたもん」(「日経エンタテインメント!」2016年3月号)

 これは、単なる天邪鬼ということではありません。長瀬は、テレビドラマに対する情熱が強いのです。

「僕はドラマに育ててもらったし、やっぱりテレビドラマが好きなんです。無料で、お茶の間で、手軽に見られる。それって一番のエンタテインメントだと思います。そういう場で何かをやることにこそ意味がある」(同上)と、テレビという多くの人が簡単に触れられるエンターテインメントへの愛情を強く持っています。

 その根底には、こんな想いも。

「カッコイイとか素敵って思われるためにやるっていうのも、それはそれでいいけど、僕には必要ないと思ってしまう」

「自分がやるドラマや音楽でも何でも、人を楽しませたかったり、それでひょっとしたら誰かの人生が変わるかもしれないっていう思いは常に持っている」(「TVガイド PERSON VOL.41」2016年1月9日)

 そう、長瀬は“自分のため”よりも“誰かのため”を意識して仕事をしている人なのです。そこには、自分がカッコよく思われたいという気持ちは必要ありません。

 転機となったのは21歳の時の「池袋ウエストゲートパーク」。この作品で“誰かのため”の意識が強く芽生えたようです。

「『責任を持ってやらなきゃな』って初めて思った。例えば、死のうと思ってた人があと1日生きてみようかなって思ったりしたら、それはすごいことだから。安易にやっちゃいけないと思った」(「日経エンタテインメント!」2014年8月号)のだと振り返ります。

 テレビドラマという、多くの人が触れるものに出演していても、例えば舞台のほうが、お客さんの顔を直接見られる分、見ている人を意識しやすいという俳優さんは多くいます。そんな中、直接視聴者の顔が見えないテレビを主軸にしながらも、“誰か”を考えるのは意識的にならないとできないこと。そしてその“誰か”を考えることは、自身が一般的な感覚を保ち続けることにも繋がります。

「この世界に入ったら、どんどん一般の人とかけ離れていって、しゃべらなくなって、僕らはみんなに見てもらうドラマや音楽を作らなきゃいけないのに、一般のことが分からない人間がそれをやっているっていうのはどうかと思う」(「TVガイド PERSON VOL.41」2016年1月9日)とも発言し、一般の人のことがわからなくなっている、いわゆる「業界人」に違和感を覚えているよう。

 長瀬は、中心にいながらも芸能界に溺れることなく、ドラマを見たり音楽を聞いたりしている“普通の誰か”を想像し、自分も一般であることを心がけている人なのです。

 もちろん、一般的な感覚を保つことと、個性的な演技ができることは矛盾しません。2006年の「マイ☆ボス マイ☆ヒーロー」や2013年の「泣くな、はらちゃん」などでは、“顔芸”と言ってもいいほど様々な表情が繰り出され、かっこよく見せることにこだわらないという発言通りの長瀬の演技が見られます。

「大人だけじゃなく、子どもに向けてって意識がどこかにあるんですよ。大人な話でも、僕は子どもに見てもらいたいと強く思っていて」(「日経エンタテインメント!」2014年8月号)と意識する“誰か”は、大人だけではないようです。むしろ、広く一般に届けるために、あえて個性を際立たせている、と言えるのかもしれません。

 そうしたキャラクターも記憶に残る一方、2013年の「クロコーチ」では悪徳刑事といった際どい役も引き受けています。

「アイドルだからこれはやってはいけないとか、そんな浅さで見ていない。そんなことで仕事をジャッジしていたら僕はこの世界にはいない。他の人にはできないとか、今のドラマ界ではこのぐらいパンチがあったほうがいいなとか、見た人の記憶に残る確信が持てるな、と思えるドラマじゃないと、自分がやる意味がないと考えています」(「zakzak」2013年11月1日)

自作曲のストックは500曲

 ドラマに注力してきた一方で、長瀬は「本業はTOKIOというバンド」(「日経エンタテインメント!」2016年3月号)「バラエティやドラマと同じくらい音楽でも評価されたい」(同2014年8月号)とも話していて、俳優活動だけではなく音楽活動でも自分を出していく意識を持っています。

 TOKIOは、CDを出せばオリコン初登場1位が当たり前のジャニーズの中で、しばらく1位がとれなかったグループ。初めて1位をとったのは、デビューから7年後の2001年「メッセージ/ひとりぼっちのハブラシ」で、長瀬がドラマ「ムコ殿」で演じた桜庭裕一郎名義のソロ曲が収録されています。このヒットはドラマでの長瀬の演技が広く受け入れられた成果のひとつといっていいでしょう。

 そんなTOKIOのバンドスタイルには、変化が見られます。2014年には、いわゆる“夏フェス”の「サマーソニック」にジャニーズとして初めて出演し、ロックファンからも喝采を浴びました。

 さらにTOKIOは2013年以降、バンド内コンペのスタイルをとっています。誰かに曲を提供してもらうのではなく、テーマに沿って、メンバーが各自曲を作って、その中から選んでもらう、という形式です。中でも、採用率が高いのが長瀬のつくった曲です。

 採用率が高い理由を本人は、デモの段階から歌詞を書いているから、と分析しています。ミュージシャンは、「ラララ」といった感じで仮の歌詞で歌うことが多いようなのですが、長瀬は違います。それはプレゼンを通りやすくするための小技ではなく「歌詞を抜きにして曲は書けない」からなのだそうです。「20歳ぐらいからパソコンで音楽作りを勉強してきて、行き着いた自分なりのセオリー」(「日経エンタテインメント!」2016年3月号)と語り、自分で作った曲のストックは500を超えているそうです(「音楽と人」2017年1月号)。

 曲が採用されると、自宅のスタジオで音を作って、各メンバーに渡します。さらに、ギターの材質、ケーブル、マイク、電気のボルト数までこだわるなど、その知識量はもはやレコーディング・エンジニアのレベル(同上)。

 そこまでする理由を「良くも悪くも僕らの会社は、音楽に特化した会社じゃないから、それを知ってるスタッフがいるわけじゃないんです。ってことは、自分がまず先頭に立って、そのスタッフに指示しなくちゃいけないんですね」(同上)と語ります。ジャニーズが音楽専門の会社ではないこと、その中でもバンドスタイルを貫いていることが、長瀬をこのような行動に駆り立てていったのです。そうして現在では、サウンドのみならずジャケットデザインやライブ映像の編集にまで携わるようになっています(「日経エンタテインメント!」2014年8月号)。

 全てが完璧に用意されている環境など、なかなかありません。彼がジャニーズ事務所のアイドルとして生きていくことは、バンドマンとして音楽をすることにおいてはマイナスに捉えることもできたはず。しかし長瀬はその完璧ではない環境だったからこそ、自らが音楽面でのイニシアチブをとっていけるよう、自分を研鑽していったのです。

 自分の置かれた環境を肯定的に捉えることで、仕事自体を好きになり、やるべきことも見え、成果も生まれる。いい循環が起きていることがうかがえます。

 そんな努力の甲斐あってか、長瀬自身が歌詞、作曲、アレンジまで手掛けた初のシングル曲であり、ドラマ「泣くな、はらちゃん」の主題歌でもある「リリック」は、強い支持を集める楽曲に。TOKIOの20周年のアルバム収録曲を決めるファン投票で、メンバーが予想していたデビュー曲「LOVE YOU ONLY」を退け1位を獲得したのです。

「普通の感覚」こそが個性を伸ばす

 自分の置かれた環境を肯定的に捉える長瀬の力は、バラエティでも発揮されています。「ザ!鉄腕!DASH!!」の放送が開始されたのは1995年。「SMAP×SMAP」が放送される前年のことです。もちろん先輩のSMAPがバラエティの土壌を開拓し始めていた時期ではありましたが、まだジャニーズがバラエティ番組を全力でやるのは珍しい時代でした。それが今では「農業してる人」と揶揄されがちなほど、バラエティ番組でのTOKIOのイメージは浸透しています。

「俳優とバラエティの両方やれる人なんて、そんなにいないですから。さらにバンドっていうスタイルを持ってるなんて、うちの事務所にもなかなかいないですよ。その時点でもうオリジナルなんだから、このオリジナルを育てていかない手はないでしょ」(「音楽と人」2015年12月号)と、ここでも環境を肯定的に捉えて、個性として生かしていく姿勢が見られます。

 俳優、音楽、バラエティ……長瀬にはどんな場を与えられても、そこを自分らしい場所に変えていく力があります。

 芸能界という特殊な環境を与えられたから、オリジナルな人間として生きていけるわけではありません。むしろ、その環境に飲み込まれないようにしながら、普通の感覚を保って生きていくことは大変なことです。

 黒いインクの海の中に、白いインクが1滴垂らされる。そのときに、黒に染まらずに、白いインクであり続けられるから価値が生まれるのです。芸能界という海の中で、長瀬は溺れず、染まらずに、自分の白い色すなわち一般的な感覚を保ち、生きてきました。

 普通の感覚を持たない人間が、人と違うことをして生きてしまったら、それはただの狂気。普通の感覚を保つことでこそ、本当の個性は生まれる。そして目的が“誰かのため”である限り、その長瀬智也という尖った個性は、研磨されればされるほど、多くの人に届くようになるのです。

霜田明寛(しもだ・あきひろ)
1985年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。9歳でSMAPに憧れ、18歳でジャニーズJr.オーディションを受けた「元祖ジャニヲタ男子」。就活・キャリア関連の著書を執筆後、4作目の著書となった『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)は3刷を突破。また『永遠のオトナ童貞のための文化系WEBマガジン・チェリー』の編集長として、映画監督・俳優などにインタビューを行い、エンターテインメントを紹介。SBSラジオ「IPPO」凖レギュラー。

デイリー新潮編集部