「えみちゃんねる」突然の終了がどれだけ異例のことか 過去のケースと比較すると…

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上沼恵美子とは

「上沼さんは姉と2人で、海原千里(上沼)・万里として姉妹漫才をやっていたんです。彼女は中学生の時から高座に上がってましたが、正式にデビューしたのは高校生になった71年。彼女は子供の頃から“のど自慢”荒らしとして有名で、後の天童よしみと優勝を競っていたと言うほどの実力の持ち主。それで、当時人気だった天地真理や南沙織、欧陽菲菲などをネタにした歌まね漫才として人気になったんです。もちろん、話術も巧みでしたから、あっという間に売れました」

 彼女たちの漫才を覚えている方は、相応の年になっているという。

「漫才師として活動したのはわずか6年。『日曜ドキドキパンチ』(カンテレ)という番組出演した際に、ディレクターだった上沼氏と出会って、77年に22歳で結婚し、解散してしまいました。もっとも、翌年、長男を出産してすぐに、やはりカンテレの料理番組のアシスタントとしてピンで芸能界に復帰しました」(同)

 ビートたけしや島田紳助らを輩出した80年代の漫才ブームの時には、いなかったということか。

「そういうことですね。彼女たちが売れたのは、まだ漫才がブームになる前でしたから。彼女がピンの主婦タレントとして人気になったのは、漫才ブームが去った85年にスタートした、“四角い仁鶴がまあるくおさめまっせ”の『バラエティー生活笑百科』(NHK)の相談員として出演してからです。“実家が大阪城”といったホラ吹きが番組名物となりました。NHKのおかげで全国区の知名度となり、講演をこなすことで、さらに話術を高めていったのです」(同)

「笑百科」は大阪NHKの制作だ。東京に進出しようとはしなかったのだろうか。

「結婚後、復帰するに当たって、旦那さんから『泊まりはNG』『現場は、東は滋賀、西は姫路まで』と約束させられたとは、彼女もよく言っていますね。実際、その通りにしていて、東京で唯一見られる彼女のレギュラー番組『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』(テレビ朝日系)も朝日放送の制作です。例外は、94年、95年の『NHK紅白歌合戦』の紅組司会でしょう。そして95年に、『おしゃべりクッキング』と『えみちゃんねる』がスタートし、西の女帝として君臨していったわけです」(同)

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