ポンペオ長官「歴史認識」で重大誤認:選挙対策が色濃い米国の「対中強硬策」

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 真珠湾攻撃前夜、在米日本大使館内でひそかに暗号表を燃やした歴史を思い出させるシーンだった。7月21日、米国政府が閉鎖命令を出したテキサス州ヒューストンの中国総領事館。館員が機密文書とみられる書類を燃やす光景が地元テレビで報道された。

 ただ79年前の日本大使館とは違い、火事の通報で消防や警察が出動する大騒ぎになった。大きいニュースになり、むしろドナルド・トランプ米大統領の陣営は喜んだだろう。

 これに対し中国は報復し、同24日に四川省成都の米総領事館に対して閉鎖を命令した。

 この米中応酬の間、23日にはマイク・ポンペオ国務長官がカリフォルニア州のニクソン大統領図書館で、中国に対するこれまでの「関与政策を継続すべきではない」と、歴史的な対中政策の転換を宣言した。

 ただ演説には米中の歴史に関する重大な誤認があり、トランプ政権の対中戦略策定は準備不足が否めない。対中強硬策は11月3日の米大統領選に向けた対策でもあり、今後外交・安保・インテリジェンス面での米中の攻防は激しさを増しそうだ。

総領事館はFBIの捜査対象

 時期的に合わせたか、この間米国内で中国人が起こした事件が連続して明るみに出た。

 7月21日にワシントン州スポケーンの連邦大陪審が、過去10年以上にわたり日本やドイツなど11カ国の企業のコンピューターシステムに侵入、ハッキングを行っていた中国人2人を起訴した。2人は中国の情報機関「国家安全省」との契約ハッカーだった。新型コロナウイルスに関する研究成果も標的にし、関係諸国の企業のコンピューター・ネットワークの脆弱性を調査していた、と司法省は発表している。

 また司法省は同23日、研究名目のビザを不正に取得した疑いで「中国人民解放軍」のメンバー4人を訴追した。

 では、トランプ政権はなぜ、在ヒューストン中国総領事館の閉鎖を決めたのか。

 国務省のモーガン・オータガス報道官は、

「米国の知的財産を守るため……中国による米国の主権侵害は許容できない」

 と述べ、中国のスパイ活動に対する対抗策と説明した。

 具体的には、『ニューヨーク・タイムズ』が司法機関から入手したという7ページの文書には、FBI(連邦捜査局)が同総領事館を対象として行った数件の「カウンターインテリジェンス」(防諜)捜査の内容が書かれていた。ヒューストン地域の機関から医療関連情報を違法に入手する計画や、50人以上の研究者や教授をリクルートする計画などが記されていた。

 上院情報特別委員会の委員長代行、マルコ・ルビオ議員(共和党、フロリダ州)はツイッターに「領事館は大規模なスパイセンター」と記している。

 しかし、こうした強硬策に対する批判も出ている。ジェフ・ムーン元米通商代表補は、

「米国の知的財産の盗難が理由なら、シリコンバレーが近い在サンフランシスコ中国総領事館を閉鎖するはず。対中強硬策に見せかけた政治目的ではないか」

 と『CNNテレビ』に語った。

 その報復対象として、中国は在成都米総領事館を選択した。同総領事館は米国の在中外交公館として最も西部にあり、新疆ウイグル自治区およびチベット自治区に関する米国の情報収集機能が低下する可能性がある。

 四川大震災の際に問題視された成都近くにある核兵器関連施設に関する情報収集にも障害が出る恐れがある。

関与政策ではなかったニクソン訪中

 トランプ政権の対中強硬路線を示す一連の動きは、6月24日に始まった。

 最初に登場したロバート・オブライエン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)はアリゾナ州フェニックスで「イデオロギー」について、次いでクリストファー・レイFBI長官がワシントンのハドソン研究所で「防諜」の立場から「スパイ」について、さらにウィリアム・バー司法長官がミシガン州のフォード大統領図書館で「経済」について演説。

 そして7月23日ポンペオ長官は、締めくくりとして「まとめ」演説をおこなった。4人の高官が中国を強く非難する異例の演説シリーズとなった。

 ポンペオ長官演説の核心は、米国の「対中関与政策」では中国は自由と民主主義が「達成されない」という結論である。

 中国はマルクス・レーニン主義で全体主義であり、「変化を促さなければならない」、「封じ込め政策」ではないが、「有志国」で「新しい民主主義の同盟」を結成する時がきた、と主張している。

 これらの目標を達成するのは非常に難しい。それ以上に大きい問題は、ポンペオ長官の歴史認識と現状認識が間違っていることだ。

 長官は、

「歴史的訪中でリチャード・ニクソン大統領は関与政策を開始した」

 と述べたが、その歴史的認識がそもそも事実誤認だった。

 ニクソン大統領自身が設立した保守系シンクタンク「国益のためのセンター」(Center for the National Interest)発行の『ナショナル・インタレスト』誌電子版は、

「演説はニクソンとヘンリー・キッシンジャーの基本的アプローチを誤解している」

 と切り捨てた。

 筆者はニクソン訪中を長年研究してきたが、ニクソンには「関与政策」の意識は全くなかった。

 2人には「上海コミュニケ」で、世界の戦略的枠組みを変える意図は全くなかった。コミュニケは、「台湾海峡の両側のすべての中国人が、中国はただ一つであり、台湾は中国の一部分であると主張していることを認識している」

 という見事な一文で、「中国は1つ」との中国側の主張を退け、現状を維持したのである。

 だから、米中国交正常化は拒否し、在台湾米軍も維持したのである。当時はソ連の軍事力が強大化しており、それに対抗してバランスを取るために米中関係を改善したのだ。

次は米露改善、と勧めたキッシンジャー

 訪中直前にホワイトハウスでキッシンジャー補佐官(当時)はニクソンに、

「彼ら(中国人)はロシア人よりも恐ろしいと私は思う。……20年後、あなたの後継者が賢明であれば、ロシア側に傾斜して中国と対抗すると私は思う……われわれは力のバランスのゲームを全く無感情のまま演じなければならない」

 と助言している。

 つまり、キッシンジャー戦略を敷衍すれば、今こそ米国は対中強硬策ではなく、対露関係改善を進める時だということになる。

 しかしポンペオ長官は、当時のニクソン訪中の意義もキッシンジャー戦略もまったく理解していない。お粗末な「対中戦略演説」だったと言わざるを得ない。国務省が蓄積する情報と能力を総動員して作成した演説とは思えないのだ。

 確かに、米中関係改善後、米国はキッシンジャーの狙い通りに戦略を進められず、逆に中国の賢い国家戦略に翻弄されてきたのは事実だ。

 中国は、鄧小平氏が実権掌握後、改革開放政策を取り、各地に「経済特区」を建設、「社会主義市場経済」を掲げた。これを受けて、先進技術を持った米国資本が進出した。米国は中国の世界貿易機関(WTO)加盟を支持するなど「関与政策」を進め、中国の民主化を期待したが裏切られたというわけだ。

 こうした正しい歴史的経緯を踏まえた戦略でなければ、中国のシステム構造を変えることなど到底無理だ。現在、ホワイトハウス内では「中国戦略の策定作業はなお進行中」(『ワシントン・ポスト』)と言われるが、まとまるだろうか。

急ごしらえの対中強硬派

 今回の一連の演説と領事館閉鎖命令で店開きした対中強硬派は、急ごしらえの印象がぬぐえない。強硬派はスティーブン・ムニューシン財務長官にも、4長官の演説に加わるよう要請したが、「拒否された」(『ワシントン・ポスト』)という。また、マーク・エスパー国防長官がこのグループに加わっていない理由も不明だ。

 これまで、トランプ政権内が対中経済政策で割れていることはよく知られている。ムニューシン財務長官は親中派、ケビン・ハセット経済諮問委員長とラリー・クドロー国家経済会議委員長は自由貿易派、ウィルバー・ロス商務長官とボブ・ライトハイザー通商代表、ピーター・ナバロ貿易担当補佐官は対中タカ派で、各派が別々に動き、対立してきた。

 その結果、ジョン・ボルトン前大統領補佐官(国家安全保障問題担当)が思考した幅広い「対中戦略」は策定されないまま、米中両国は、経済、貿易、ハイテク技術、サイバー、軍事に至るあらゆる面で対立してきたのが現状だ。

 この状況を打ち破ろうと、今年初めから動き始めたのが、ポンペオ国務長官とマット・ポッティンジャー大統領副補佐官(国家安全保障問題担当)だと『ブルームバーグ通信』は伝えている。これにオブライエン補佐官、レイFBI長官、バー司法長官、デービッド・スティルウェル国務次官補(東アジア太平洋担当)らが同調したというわけだ。

 ボルトン補佐官の辞任で押さえが利かなくなり、「コロナ禍」でトランプ大統領の支持率が下がったことが追い風となったようだ。

 キッシンジャー氏はトランプ大統領当選の翌週、2016年11月17日にトランプタワーで会談した際、世界戦略に関連する話をした可能性がある。しかし、戦略論が分らない大統領は十分理解できなかったか、「ロシア疑惑」で動けなかったか、は明らかではない。

いずれにしてもトランプ政権はキッシンジャー戦略に乗った形跡はない。ポンペオ長官もまず、キッシンジャー氏の話を聞くことから始めてはどうだろう。

春名幹男
1946年京都市生れ。国際アナリスト、NPO法人インテリジェンス研究所理事。大阪外国語大学(現大阪大学)ドイツ語学科卒。共同通信社に入社し、大阪社会部、本社外信部、ニューヨーク支局、ワシントン支局を経て93年ワシントン支局長。2004年特別編集委員。07年退社。名古屋大学大学院教授、早稲田大学客員教授を歴任。95年ボーン・上田記念国際記者賞、04年日本記者クラブ賞受賞。著書に『核地政学入門』(日刊工業新聞社)、『ヒバクシャ・イン・USA』(岩波新書)、『スクリュー音が消えた』(新潮社)、『秘密のファイル』(新潮文庫)、『米中冷戦と日本』(PHP)、『仮面の日米同盟』(文春新書)などがある。

Foresight 2020年7月29日掲載

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