巨人「岡本和真」を語る…奈良のジョニー・デップから令和初の三冠王へ

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「俺の女房の名前を貸してやる…」

 内田順三さんは自身の著書(『二流が一流を育てる』KADOKAWA)の中で岡本選手に対して「12の3ではなく12~の3で振るイメージ、早めにテイクバックをしてゆったりとトップの位置で待ちそこからスイングするよう心掛けろ」と指導したと述べています。

 さらに内田さん流の洒落なのか、「彼女の名前はなんだ」と問うても恥ずかしがって言わない岡本選手に対して、「俺の女房の名前を貸してやる。“かず~よ”のタイミングで打て」とも伝えたとか。そして2軍監督をなさっていた時には「小手先だけではなく、最後まで振り切るスイングをしながら、プロの打撃を磨け」と尻を叩いたそうです。

 そして4年目のシーズン(2018年)の話に戻ります。その年はオープン戦から調子を上げて開幕1軍スタートを勝ち取り(前年も開幕スタメンではありましたが)、「6番1塁」で開幕スタメンを奪取。第2戦となる3月31日には4打数4安打(1ホームラン)5打点と大暴れをしてプロ入り初の猛打賞、さらに翌4月1日も3ランホームランをかっ飛ばしました。その後も活躍を続け6月2日にはついに4番打者として試合に出場したのです。

 さらにこんなことがありました。

 2015年9月26日のヒーローインタビューで「奈良県から来ましたジョニー・デップです」と球場を沸かせた名言(迷言?)を2018年3月31日のヒーローインタビューの際に「今年、気を引き締めているのでやりません」と拒否し、その後もインタビュアーがなんとかそっちの方向に持って行こうとするものの恐縮しながら頑なに拒否し続けました。

 私はその中継を観ていたのですが、アナウンサーの誘導に嫌気がさすとともに岡本選手の不退転の決意を感じ取り、「今年こそ岡本は絶対にやってくれる」と確信めいた感情を抱きました。結果、打率.309、33本塁打100打点(最終戦に100打点を決めるという痺れる演出)という素晴らしい結果を出し、見事巨人の4番に成長しました。しかし自らを4番に引っ張り上げてくれた高橋由伸監督が巨人を去ることとなってしまいました。さぞかし岡本選手も悲しかったことでしょう。

「和真は神の子みんなの子」

 そして後任には巨人軍岡本和真生みの親、原辰徳さんが就任することに。生みの親に実力で勝ち取った4番打者であることを証明するために懸命に野球に取り組み、1軍選手としては事実上の2年目のスランプ的な時期も経験しましたが、打率.265、31本塁打94打点の成績を叩き出し、シーズンを無事乗り切りました。

 迎えた今シーズン、オープン戦も好調をキープし続け、今年は60本くらい打ってしまうのではないかとファンも関係者も思っていたら、新型コロナの影響を受けて開幕は大幅に遅延して6月19日スタートで全120試合になってしまいました。しかししっかりと集中力を切らさずに開幕に備えていたのでしょう、打率.327、10本塁打27打点(7月22日現在)と今シーズンの3冠王の可能性を感じさせる数字を叩き出しています。

 進化が止まらない令和の巨象(足が象並みに太いので)、これからも応援せずにいられません。

 かつて東北楽天ゴールデンイーグルスの監督をなさっていた故野村克也さん(84没)が現ニューヨーク・ヤンキース所属の田中将大投手のことを「まーくん神の子不思議な子」と表現していましたが、さながら「和真は神の子みんなの子」と表現したくなってしまいました。

 みんなの子とは、原辰徳監督が巨人岡本を産み、内田順三打撃コーチ(当時)・二岡智宏打撃コーチが水をやり、高橋由伸前監督が見事に開花させたという意味で用いさせていただきました。もちろんご本人の弛まぬ努力あってこそではあるのですが。

 この大輪はこれから何年も花を散らすことはないでしょう。

 令和初の3冠王、期待しております。

徳光正行
1971年12月生まれ。茅ヶ崎市出身。日本大学芸術学部在学中よりミュージシャンを目指すが、父の病により断念。その後、司会業やタレント業に従事する。また執筆活動にも着手し『伝説になった男~三沢光晴という人~』『怪談手帖シリーズ』などを上梓。4月27日に岩井志麻子氏との共著『凶鳴怪談』を出版。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年7月24日掲載

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