「長瀬智也」退所、29年のジャニーズ歴で振り返る「音楽への愛」

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近年のシングルはほとんど長瀬の作詞・作曲によるもの

 TOKIOの中で最年少の長瀬だが、現在41歳。先日32歳でNEWSを脱退した手越祐也(在籍17年)や、昨年33歳で関ジャニ∞を脱退し芸能活動を続けている錦戸亮(在籍22年)と比べても、1991年に13歳で入所し、大きなブレイクを経て、29年という人生のほとんどを捧げてきたジャニーズ事務所を退所し、さらに今後は裏方として仕事をしていく、というのはやはり意味合いが異なる。

今回の発表の中で「われわれTOKIOはBANDから会社へ」というコメントもあった。今後は、TOKIOの形態も変わらざるを得ないだろう。
 実はTOKIOの音楽の要は長瀬である。それは単にボーカルである、ということに限らない。
 
 TOKIOの音楽の歴史は大きく3期に分けられる。
 デビュー当初の“アイドルでありながらバンド”という宿命を背負った初期、そして中島みゆきに「宙船」、椎名林檎に「雨傘』と、著名な歌手から楽曲提供を受けていた中期。そして、2013年のドラマ「泣くな、はらちゃん」主題歌「リリック」以降は、基本的にTOKIOは自ら楽曲を制作している。

 TOKIOは、バンド内でコンペをして曲を選んで発売する形式をとってきたが、その中でも採用率が高いのは長瀬が作った楽曲。近年のシングルの表題曲はほとんど長瀬の作詞・作曲によるものだ。

 長瀬の音楽への熱はすさまじいものがある。20歳の頃から、自分で楽曲を作り続けて約20年。自作曲のストックは500を越える。自宅のスタジオで音を作り込み、ギターはもちろん、機材のケーブルや電気のボルト数までこだわり、レコーディング・エンジニア並みの知識量で、レコード会社のスタッフにも自ら指示を出す(※1 音楽と人 2017年1月号)。

「アイドルって最初は何もわからないけど(中略)<自分はこれだな>ってものを見つけると、凄い覚悟でそれに向かっていくんです」(※2音楽と人 2015年12月号)と語る長瀬は、音楽という自分の生きる道を見つけて、覚悟を決めた人なのだ。

 その覚悟は徐々に音楽好きにも伝わっていく。2014年にはサマーソニックに出演して喝采を浴びるなど、バンドとしての音楽的な評価を伸ばしていく中で起きたのが、2018年の山口の事件だった。

 山口の脱退以降、TOKIOはCDリリースはもちろん、ライブ出演を含めた音楽活動を一切行わなくなった。先日のジャニーズ事務所の音楽活動をしているタレントたち一同が参加したチャリティープロジェクト『Twenty☆Twenty』にも不参加。

 俳優業やバラエティ出演は続けてきたものの「本業はTOKIOというバンド」(※3日経エンタテインメント 2016年3月号)と語っていた長瀬への、精神的なダメージは計り知れない。

 昨年、長瀬は木村拓哉のラジオ番組に出演し、ジャニーズに入ることを“入所”と表現。
「“入所”って言うと、プリズンみたい」と笑う木村拓哉に対し、「プリズンみたいなもんじゃないですか(笑)」と返していた(※4TOKYO FM 木村拓哉Flow 2019年2月3日)。

 ジャニーズ事務所は、音楽活動を禁じられた長瀬にとってさながら監獄のようなものだったのかもしれない。

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