日本兵の心理を戦時中から徹底研究していたアメリカ

国内 社会 2020年7月21日掲載

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 日本の敗戦について、今日では以下のような見方は珍しいものではない。

「日本政府、日本軍は戦争を始めることは考えていた。問題はどこでどう終わらせるかのビジョンを持っていなかった点だ」

 つまり勝利以外を念頭に置かなかったために、上手な終わらせ方、負け方まで気が回らず、結果的に傷を深くしてしまった、ということである。

 アメリカは対照的だった。勝者であるにもかかわらず終戦後も、「政治戦」と「心理戦」という形で日本に対する「戦争」を続行していたという。どのような考えに基づいたもので、実際に何が行われていたのか。公文書研究の第一人者で、新著『日本人はなぜ自虐的になったのか―占領とWGIP―』で、アメリカによる心理戦の全貌を描いた有馬哲夫・早稲田大学教授に聞いてみた。

――「政治戦」「心理戦」というとちょっと穏やかではないというか、オーバーな印象もありますが……。

有馬:近代戦では、「軍事戦」で勝利しただけでは不十分で、「政治戦」「心理戦」を行わなければ目的を達成できないというのは当たり前のことです。

 対日本に関してのアメリカの目的は、日本人の心を支配し、「戦争能力」を奪い、「二度とアメリカに立ち向かうことがないようにする」ことでした。

 最近の中東におけるアメリカの戦争を見ても、軍事戦の勝利だけでは、戦争目的が達成できないことは明らかです。ただ相手を降伏させても、米軍が引き上げたとたんに元通り、ではまた軍事戦をやらなければいけなくなる。

 そういう事態を避けるために、政治戦と心理戦は必要だと考えられているのです。そうしなければ復讐心に満ちた敵国民がまた立ち上がりかねません。

 簡単に言えば政治戦はその国の政治体制や法律を都合の良いように変えることです。日本で「戦後の五大改革」などと言われるものは、これにあたります。

 そして心理戦は国民の心理に働きかけ、思考や価値観を変えることです。

――イラクなどの状況を見るとよくわかる話ですが、それは最近の概念なのでは?

有馬:第1次大戦後、ドイツは再び戦争に乗り出しました。こうしたことからアメリカやイギリスは教訓を得ていたのです。アメリカではすでに1920年代から心理戦の研究が進められており、実際に活用されていました。政治コミュニケーション、プロパガンダ戦の大御所のハロルド・ラスウェルという人物が『心理戦』などの論文を著しています。こうした考えをもとに、一流の研究者やメディア企業の幹部らが第2次大戦中から心理戦に動員されていました。これらはすべて公文書に残っています。

日本兵の心をつかみたければ天皇を貶めてはならない

――戦後ではなく、戦中から?

有馬:この点がまったく日本とは異なります。「終戦のエンペラー」(2012年公開)というアメリカ映画をご存じでしょうか。マッカーサーの側近、ボナー・フェラーズ准将という人物がメインの登場人物として描かれています。フェラーズは、終戦後、マッカーサーの命令で天皇の戦争責任を調べました。その調査を踏まえたうえで、昭和天皇と面会したマッカーサーは、天皇を戦争裁判にかけないことを決意しました。

 このフェラーズは、アメリカに留学してきた日本人女性と知り合ったことなどから日本に興味を持つようになります。そして1930年代、陸軍士官大学在学中に「日本兵の心理」という論文を書き、軍関係者の高い評価を得ていました。この論文は、日本兵の心理を知るための重要文献となったのです。

 こうした経歴から彼は対日戦争がはじまると、心理戦を担当する部局に配属されました。1944年に新設された南西太平洋陸軍の心理戦局のトップにもなります。ここではたとえば、日本軍から米軍が奪取したサイパン島にラジオ局を設置して、ホワイト・プロパガンダやブラック・プロパガンダを太平洋地域のみならず日本本土向けにも放送する、といったことをしています。

――ホワイト・プロパガンダとブラック・プロパガンダとは何ですか?

有馬:まず基本を説明しておくと、プロパガンダのことを「デマ」とか「虚偽情報」と同じだと思っている人が多いのですが、これは間違いです。プロパガンダは特定の思想などに誘導するための宣伝活動全般を指すのであって、必ずしも虚偽の情報である必要はない。むしろ全部が虚偽だと効果が出ないのです。一度や二度なら通用しても、繰り返すと「あそこからの情報は全部ウソじゃないか」となるからです。

 その中でホワイト・プロパガンダとは情報源を明らかにしたもの、ブラック・プロパガンダは情報源をわからない形で発信するものです。戦時中でいえば、アメリカ軍からの情報だと明らかにしたのはホワイト・プロパガンダになります。

 この両方を上手に使い分けて、米軍は日本兵の戦意を失わせたり、降伏を決意させたりするようにしたのです。大本営発表とは異なる、日本軍大敗の情報、捕虜を殺したりはしない、といったこともプロパガンダとして流されていました。

 この当時の心理戦で、フェラーズは一つの認識に到達します。彼は、「天皇を誹謗すれば、日本兵は心を閉ざしてプロパガンダに耳を貸さない」ということを南西太平洋での心理戦で学習しました。このことが戦後の昭和天皇の戦争犯罪をどう考えるかということに大きく影響するのです。

効き始めたフェラーズの心理戦

――戦時中の心理戦はどの程度効果があったのでしょうか?

有馬:米軍は専門部局を作るほど心理戦を重視していたとはいえ、一方では懐疑的な見方も内部にありました。旧来型の思考を持つ軍人からすれば、そんなものに効果があるのか、と胡散臭く感じていたようです。

 しかも実は、当初、フェラーズのホワイト・プロパガンダはあまり成果が上がっていませんでした。1944年末くらいまでは、宣伝ビラや拡声器で日本兵に投降を呼びかけても、応じる者は少なかったのです。

 しかし、1945年になってから潮目が変わります。ホワイト・プロパガンダが効果を上げるようになってきました。

――なぜそう言えるのでしょうか?

有馬:当時の心理戦局の作った報告書の中にグラフが残っています。1944年12月の時点で心理戦局は累計200万枚のビラを撒きましたが日本兵の投降者は93名にすぎませんでした。

 ビラの数を翌年4月までに累計約950万枚まで増やしたところ、投降者は1230人にまで増えました。その2カ月後には投降者の数は4175人まで増えます。

 もちろん戦況が日本にどんどん不利になったからだともいえるでしょうが、米軍は確実に手ごたえを感じたのです。

 彼らは捕虜にビラや宣伝文を読み聞かせ、改良点を訊いて、それを心理戦にフィードバックして洗練させていきました。

 今風に言えば、マーケティングをもとにどんどんブラッシュアップしていったわけですね。余談ながら、心理戦に関わった中にはその後、本国で広告マンとして大成した人物もいます。

 グラフなどが作成されているところからもわかるように、米軍はここでの経験をノウハウとして確実に蓄積していきました。

 そして、戦争に勝ってなお気を緩めることなく、占領した日本に対して心理戦、政治戦を継続したのです。

 単純に武力での勝利を目指した日本軍との意識の違いは明らかです。

 ただ、フェラーズのような人物が心理戦を主導していたことは、戦後の日本にとって悪いことばかりとは言えないかもしれません。戦後すぐには、アメリカの中でも、昭和天皇の戦争責任を厳しく追及すべきだという強硬的な意見も少なからずありました。しかし、それでは日本人はかえって反発をする、という立場を彼は取っていました。

 その代わり、彼は軍部には極めて厳しい立場を戦時中から取っていました。軍人たちは戦後、自分たちに責任があることを積極的に認め、昭和天皇にまで追及の手が及ばないことに協力したので、ここでは彼と軍人たちの利害は奇妙なことに一致していたともいえます。

 フェラーズに限らず、当時のアメリカには日本の事情や日本人の心理に通じた研究者や軍人が数多くいました。彼らが徹底的な研究と実践を繰り返したからこそ、戦後の日本人の思考を自分たちの都合の良い方向にスムーズに誘導することができたのです。

デイリー新潮編集部