今度は国民民主に入党の「山尾志桜里」 狙うは菅直人の選挙区? 大きな火ダネに……

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党内で大騒動は必至、の声

 フジテレビ系列の東海テレビは7月11日、電子版のニュースとして「山尾志桜里議員の入党と県外選挙区への変更を報告…国民民主党愛知県連の幹事会で」の記事を配信した。

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 記事の内容を紹介するには、改めて山尾志桜里・衆議院議員(45)の略歴を振り返る必要がある。

 山尾議員は1974年7月生まれ。小学校は東京都武蔵野市にある私立聖徳学園小学校。中学校は練馬区の東京学芸大学附属大泉中学校(2009年に閉校)。高校も世田谷区の東京学芸大学附属高校で、大学は東大法学部と、常に東京都内の学校に通っていた。

 2002年に司法試験を合格すると、04年に検察官に任官。東京や千葉の検察庁に勤務するが、07年に人生の転機が訪れる。

 当時の民主党が愛知7区(6区に属しない瀬戸市、大府市、尾張旭市など)の候補者募集を行ったのだ。これに山尾氏は応募、選出されたため検察官を退官した。

 つまり彼女が“落下傘候補”であることは一目瞭然だ。小学校から大学まで都内の学校に通った山尾議員は、愛知7区に地縁も血縁も全く存在しない。

 だが、当時の民主党には強い追い風が吹いていた。山尾議員は、いわゆる“小沢ガールズ”としてマスコミの注目を集め、09年の総選挙では初出馬にして初当選を果たす。

 この選挙で政権交代が実現し、鳩山由紀夫氏(73)が首相に就任した。だが、その後の民主党は有権者の支持を失い、12年の総選挙では自民党がリベンジ。山尾議員も落選の憂き目に遭う。

 それでも2年後の14年には国政復帰を果たした。しかし好事魔多し。17年に週刊文春が不倫疑惑を報道し、民主党を離党。同年の衆議院選挙では無所属で立候補し、辛くも3選を果たした。

 その後、立憲民主党に入党するが、次第に党の方針と齟齬が生じるようになる。今年に入ってからは、新型インフルエンザ等対策特別措置法(新型コロナウイルス特措法)の議論などで枝野幸男代表(56)を批判する姿も目立つようになった。

 3月12日、特措法改正案の採決で立憲民主党に造反し、18日に離党届を提出、24日付けで受理。そして今度は6月16日に国民民主党に入党届を提出、7月8日に受理されたのだ。

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