ソウル市長の自殺:慰安婦弁護士と日本からの寄付という「反日・親日」2つの顔

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セクハラ告発者が続きそうな「Me too疑惑」

 次期大統領有力候補としてその名が挙がっていた朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長。セクハラ事件に巻き込まれてから、わずか1日でこの世を去ることになった。享年64。2011年から3期連続でソウル市長を務めてきた朴氏は、最近の世論調査で60.5%の支持率を得て、市政において肯定的な評価を受けていた。1990年代初頭から継続して反日の態度を取ってきた代表的な政治家としても知られる彼は、一方で日本から寄付金を受けるなど親日の顔もあり……。

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 人権派弁護士で市民運動家出身でもある朴市長は、慰安婦被害者のための法的支援活動に注力してきた。その勢いでソウル市長に当選した後、慰安婦少女像の建設によって大衆の反日感情を煽るのに一役買ってきた。

 一方で朴市長は、過去に自身が設立した市民団体にトヨタから巨額の支援金を受けた事実があり、それが非難の対象となり、親日派としての疑惑が絶えず提起されてもいたのである。

 警察によると朴市長は、7月9日、行方不明になってから7時間後に発見された。実は8日に、元秘書であるAさんがセクハラなどの疑いで朴市長をソウル地方警察庁へ告訴していた。加えて、朴市長がセクハラを行った被害者は他にもいることが予想されることから、これらは合わせて「Me too疑惑」と呼ばれている。

 ここで改めて彼の経歴を紹介しておこう。生まれは慶南昌寧で、当時エリートの必須コースと言われていた、別名「KSライン(京畿高校⇒ソウル大学)」に進学したものの、朴正煕政権の維新体制に抵抗する学生運動に参加した結果、ソウル大学から1975年に除籍された過去がある。

 除籍された翌年に壇国大学史学科に入学、そして卒業。1980年、第22回司法試験に合格し、大邱地検検事に任用された後、間を置かず辞任し、後に人権弁護士として活躍した。

 1994年には、韓国進歩市民社会の礎となったとされる参与連帯を設立。その後、「小口株主運動」や「不正腐敗候補者落選運動」などで政界にインパクトを与え、新しい形の市民運動を創案したという評価を受けた。2000年代初頭からは、財団法人「美しい財団」、「希望製作所」を開設し、取締役として寄付運動、民間研究所の養成に力を注いだ。
 もちろん彼を語るうえで外せないのは、代表的な反日政治家、慰安婦弁護士としての顔だ。「慰安婦問題」で日本政府の謝罪と賠償を執拗に主張してきた人物の一人であることは間違いない。2000年の国際人権キャンペーン「女性国際戦犯法廷」に参加し、南北共同検査団に検事として参加した後、日本の天皇を従軍慰安婦強制性労働搾取戦犯として起訴している。

 当時朴市長は、「韓半島は10万人以上が従軍隊慰安婦に動員された最大の被害国であり、植民地支配がその背景であった」と語っている。「過去を覚えていることが出来ない人は、その過ちを繰り返すしかない」として、日本天皇の処罰と日本政府の賠償を強く要求した。

「加害者(日本)は、先に謝罪しなければならない」と…

 2011年、ソウル市長に当選した直後の12月31日の深夜。普信閣での各種行事に「慰安婦」被害者を招待したこともある。2013年6月にソウル市で日本軍による「慰安婦」被害者支援に関する条例を議決し、毎月70万ウォンの生活費を支援する決定を下して注目されることになる。

 そして2018年7月には、日本従軍慰安婦関釜裁判問題を扱った映画「ハーストーリー」を観覧。「まだ日本から謝罪を受けていない中で、日本はいつもあやふやな態度で慰安婦問題を終わらせようとしている」とし、「加害者(日本)は、先に謝罪しなければならない。過去をきれいに清算して初めて平和共同体を作ることが出来る」と主張したのだった。

 2019年2月に行われた、3•1運動100周年記念「記録の記憶:日本従軍『慰安婦』の話、誰も聞いたことがない話」展の開館式では、日本政府を直接名指しし、「被害者の観点からの痛みを慰労し、謝罪する努力が必要だ」と批判。さらに韓国内で日本商品不買運動が盛んだった同年8月、ソウル市は「日本従軍慰安婦被害者を称える日」を迎え、ソウル南山近くにある朝鮮神宮の前に実物大の慰安婦像を立てた。当時、朴市長は「ソウルの記念碑は歴史教育の現場になるであろう」という所感を明らかにしている。

 朴市長は自身の著書において、あるいは、1986年に設立された左偏向歴史研究所「歴史問題研究所」の初代理事長として、親日派を清算すべしとまで、声をあげてきた。

 他方、野党の主張によると、彼の父である、故バク・ギルボ氏は日本の植民地時代、報国隊に長年籍を置き、朝鮮人の日本軍徴用、慰安婦動員を先頭に立って行ってきた親日派と見なしうるという。

 また国税庁によると、先に触れた朴市長の「美しい財団」は、2005年から2010年までの間に韓国トヨタ自動車とトヨタ財団から総額6億ウォン(5400万円)ほどを受領。当時、日本にあった「希望製作所」も、トヨタ財団から450万円を受け取っているという。

 トヨタと言えばレクサス。19年8月以降、朴市長は文大統領と共に日本製品の不買を主張してきたのだが、間の悪いことに、乗車している車両がレクサスだと指摘されたことがあった。この不買運動に加え、“日本の戦犯企業”の製品か否かを見分けるステッカー運動も推進。そのステッカーには、「本製品は日本の戦犯企業が生産した製品である」「日本の戦犯企業とは対日抗争期当時、強制動員などによりわが国民の生命・身体・財産などに被害を与えた企業である」などと、韓国語で書かれている。

 それだけに、二枚舌ぶりがメディアにしつこく取り上げられたが、メディアの中には“レクサスは市長友人の車両”と訂正したところもあった。“政治力”を発揮した結果だろうか……。

 反日・嫌日を基盤に支持を広げ、大統領候補にまでのし上がったのは良かったが、一皮むけば、日本の色がついた献金を受け取っていた。とにかく辻褄の合わない人生を送ってきたのは疑いないようだ。

週刊新潮WEB取材班

2020年7月12日掲載

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