「非モテ」は人種を超える 思春期を米国で暮らした私の差別感覚(中川淳一郎)

国際 週刊新潮 2020年7月2日号掲載

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 世界中に広がる黒人差別反対の抗議活動ですが、略奪や放火・店舗破壊などの暴動にもなっています。ネット上では「異議を呈さない人間は差別を容認する差別主義者!」みたいな論法がまかり通っています。(1)差別に私は反対、(2)でも暴力を行使して無関係な商店を破壊するのには反対――こう表明すると「黒人は長年の差別に苦しんでいたのだから暴れるのは当然。お前は差別主義者だ」というレッテルを貼られます。

「いやいや、(1)と(2)は共存する考え方でしょうよ」というのは通じない。かくして「意見を言わないと差別主義者」「意見を言っても差別主義者」ということになり、「オレの考えと異なる者は差別主義者」という「オレ様基準」が適用されることになるわけです。

 こうなると「面倒だからこの件からは距離を置こう」となり、差別問題に高い関心のある人に対して恐怖を感じ、一般層が敬遠するようになる。ここまで書いた段階で私も差別主義者認定されることでしょう。

 さて、私は1987年から92年までアメリカに住んでいたのですが、当時の黒人差別の状況を振り返ってみます。マイケル・ジャクソンの「Man in the Mirror」がヒットしましたが、PV動画にはキング牧師やKKKが登場するほか、核実験や世界の紛争などのシーンが次々にフラッシュバックされます。マイケルが、差別撤廃と世界平和を願っていたことがよく分かるPVです。あとは黒人のスパイク・リー監督が人種差別と衝突を描いた映画「Do the Right Thing」「マルコムX」もヒットしていました。

 アメリカ史の授業でもsegregation(隔離政策)や「リトル・ロック高校事件」には長い時間を割いていました。後者はどういうものかというと、1954年、黒人と白人が同じ学校で学ぶ「融合教育」が最高裁で決まったのですが、それから3年後、アーカンソー州リトル・ロック市の高校に、アーカンソー州知事が州兵を派遣。黒人生徒の登校を阻止するとともに、登校反対派市民が学校を囲んだのです。登校した9人の黒人生徒は「Little Rock Nine」と呼ばれ、象徴的な存在として大きく取り上げられました。

 そこまで教育をしていても、数々の作品で差別撤廃を訴えても、結局アメリカの差別意識は変わらなかった。高校でも基本的には白人は白人同士でつるみ、黒人は黒人同士でつるんでいました。表立って対立はしないものの、居住地域も違いましたし、やはり差別は存在したのでしょう。

 不思議だったのが、私がいつもつるんでいた男たちです。ドイツ系白人4人、イギリス系白人1人、黒人2人に私、の合計8人なのですが、妙に波長が合ったんですよね。アメリカの高校では、学校単位で数学、物理、化学、国語、歴史など各教科の代表選手を出し、他の学校と競う州大会がありました。私は数学の代表として参加したのですが、「勉強が好き」という共通点で繋がっていました。

 しかしもっとも共通していたのは「モテない」という一点。「モテないオタクガリベン」というイメージから、白人も黒人も我々を見下していました。「非モテ」は人種を超えた嘲笑の対象なんだな、とこの時に感じたものです。

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973(昭和48)年東京都生まれ。ネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』等。

まんきつ
1975(昭和50)年埼玉県生まれ。日本大学藝術学部卒。ブログ「まんしゅうきつこのオリモノわんだーらんど」で注目を浴び、漫画家、イラストレーターとして活躍。著書に『アル中ワンダーランド』(扶桑社)『ハルモヤさん』(新潮社)など。