床ずれは忘れたころにやって来る 100日ぶりに自宅に戻った妻──在宅で妻を介護するということ(第3回)

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いきなり39度の発熱、赤茶色の尿が出た

 一夜が明けた。昨晩は途中何度も起きて顔をのぞき込み、息をしているかどうか確認した。掛け布団が襟元でかすかに上下しているから大丈夫なのだが、万一ということもある。それに、経鼻経管栄養のチューブが外れていないかどうかの確認もせねばならなかった。おそるおそる額に手をあててみると、汗もかいていないし熱もないようだ。介護用ベッドも設定どおり15度に傾斜している。すべて異常なし。夜勤の看護師になった気分である。

 ところが、夜が明けるとちょっと様子が違った。カーテンを開けると、妻の頬が紅潮している。うっすら汗もにじんでいる。体温を計ると37度4分という中途半端な値を示した。昨日は病院から自宅まで1時間もクルマに揺られてきたし、移動の疲れが出たのだろう。室温の違いや新しいベッドの影響もあるかもしれない。しばらく様子を見ることにした。夕方になると、今度は明らかに上気し熱は38度4分に上昇していた。

 オシッコはどうだろう。排泄は自力でできないので、「尿道カテーテル」といって、膀胱に溜まった尿をカテーテル(医療用の管)を通じて体外に排出している。陰部から延びた直径1cm・長さ1mほどの管の先には、半透明の採尿パックがあり、ベッドの脚にフックで掛けている。パックには目盛りが刻まれ、日々の排尿が一目で分かる。このパックもまた赤茶色に濁っていた。病院に見舞いに行ったときは濃い黄色だったのに……。

 不安が一気に押し寄せてきたが、看取りも覚悟して始めた在宅介護だ。この程度のことで動揺しては先が思いやられる。うまい具合に翌日が訪問診療の初回で医師が来てくれるので、もう一晩様子を見ることにした。

 翌日、先生が看護師を伴って来てくれた。訪問診療は昔でいうところの往診で、医師は白衣をまとい首に聴診器をかけている。子どものころ、同居する祖父母の具合が悪くなったとき、かかりつけの医者が黒い重そうなカバンを持ってやって来た。母が洗面器に手洗い用の水を汲んで運んだ。家に来る医者は子どもにとって近寄りがたく怖い存在だった。

 訪問診療の医師はそれとは全く違いとても身近な存在に感じた。年齢も若く、軽自動車でフットワークよく利用者宅を回り、診察もまたスピーディーだ。この朝の体温は38度2分。先生は5日分の抗生物質の処方箋を書き、しばらく様子を見ましょうと言った。

 その晩、熱は一時39度1分まで上がった。下がらぬ熱に、また弱気の虫が頭をもたげた。「やっぱり病院に置いとくべきだったのか。理想と現実とは違うもの。自分のわがままや経済性を優先したことで、逆に寿命を縮めてしまったのではないか」と。しかし、抗生物質が効いたのか翌朝には平熱に戻った。私はホッと胸をなでおろした。

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