“世帯主に給付金”に噛みつく朝日新聞 日本の「家」制度への嫌悪が滲み出て…
未知のウイルスを前にして、我々は巣ごもり生活を強いられた。「ステイホーム」。家こそが、感染を拡大させずに社会を守る、そして我が身を守る砦なのだと。だが、朝日新聞にとって「家」はどうにも居心地が悪い場所のようである。
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緊急事態宣言、それは改めて家族のあり方を見つめ直す時間でもあった。外出がままならないストレスを抱えつつも、忙しすぎたこれまでの日常から離れ「家族らしい」生活を取り戻した一家もあったに違いない。いずれにせよ、ウイルスに立ち向かうにあたり、社会の、そしてその最小単位である家族の「団結」が求められた。しかし、朝日新聞はそう考えないらしい。
〈時代に合わぬ「世帯主主義」〉
こう題された、「社説余滴」なるコラムが掲載されたのは5月31日付の朝日新聞の朝刊だった。書き手は同紙の司法社説を担当する女性論説委員。コロナ禍を受け、一律10万円の給付金は世帯主の口座に振り込まれるが、それがどうしても気に入らない様子で、同コラム曰く、
〈世帯主が家族の分も使ってしまうかもしれないし、「なぜ夫や親が差配するのか」と引っかかりを感じる人もいる〉
〈家制度は戦後、廃止され、(中略)男女は平等で、家族の中に「主(ぬし)」の存在は想定されていない〉
この書きぶりから滲み出る、「世帯主」は家族の「支配者」であり良からぬものであるという家族観。日本の伝統的な家制度への嫌悪感。そして、家族といえども個人と個人のつながりにしか過ぎないという虚無感――。これでは、まるで家族崩壊を推奨しているかのようである。
「家制度」と「世帯主」
京都大学名誉教授の佐伯啓思氏が、
「常識的に考えれば、乳幼児や認知症を患っている祖父母一人ひとりに給付金を渡すわけにはいかず、便宜的に世帯主が受け取るというだけの話です。そこに目くじらを立てても仕方がないし、そもそも、世帯主が全ての給付金を使うと疑うのは、むしろ夫婦や家庭の問題でしょう」
と断じれば、「東京家族ラボ」を主宰する家族問題コンサルタントの池内ひろ美氏もこう呆れる。
「このコラムでは、いわゆる健全ではない家族が想定されています。給付金の使い方レベルで信頼できないのであれば、その家族は情緒的つながりのない形式だけのものです」
佐伯氏が「家」について続ける。
「朝日のコラムは家制度そのものを批判したいようですが、『家』とは、家督や領地を重んじた鎌倉時代の武士が私有財産を上の世代から下の世代に繋いでいく基盤として作り上げたものです。その財産の中には、親の教えや思い出といった無形のものも含まれ、それらは個人主義では受け継いでいくことができない。つまり『家』と、便宜上のシステムに過ぎない世帯主とは全く別の話。家制度を批判するのであれば、『家』とは何かを掘り下げて論じないと意味がありません」
池内氏が後を受ける。
「現在の日本は単独世帯とひとり親世帯が34・2%を占め、夫婦と子の世帯29・5%を上回っています。こうした状況での世帯主主義批判はあまりに形式主義的で実態に即しません」
最後に「週刊朝日」の編集長を務めた朝日OBの川村二郎氏が嘆く。
「いまや世帯主など形だけのもの。世の大勢は、問題のコラムの根底にある世帯主=支配者という考え方を持っていないと思います。結局、このコラムは観念論に過ぎず、読み手のことがよく考えられていない。朝日には『学のあるバカ』が増えてしまいました」
何はともあれ、家族仲良く。家庭が崩壊して「世帯なし」となりませんように。くれぐれも、朝日の記者諸氏の給付金が、世帯主に勝手に使われてしまわないことを祈るばかりである。