今や「一億テラスハウス症候群」? 木村花の悲劇が示した現代の病理

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中傷する人間は「テラスハウス症候群」? 現代の病理とSNSの功罪

 ハロウィンで騒ぐ若者も、スポーツバーのにわかファンも、芸能人に中傷を繰り返す者も、欲しがっているのは「出番」と「居場所」だ。少しでも主人公気分を味わえる瞬間と、自分を受け入れてくれる他者を待ち望んでいる。

 中傷する人間は、相手の謝罪や更生だけが見たいわけではない。むしろ周囲からの「よく言ってくれた」という賞賛や、「私もそう思っていた」という共感に満足感を覚えるのではないか。目立つ人を傷つけたい、罰したいというだけでなく、自分の影響力を見てもらいたいという、歪んだ自己顕示欲を感じる。だからSNSという自由に全世界に発信できるツールを使い、お手軽に欲望を満たそうとするのだろう。自分の「出番」と「居場所」を作るべく。

 そして「テラスハウス」こそ、まさに「出番」と「居場所」を出演者一人一人に用意していた。誰かの恋愛対象として、夢を追う者として、時にはトラブルメーカーとして。すべての入居者に、一度はスポットライトが当たる。どんなに苦い思いをしても、帰ってこれる場所がある。隣には、誰かがいてくれる。

 いうなれば中傷する人間たちは、「テラスハウス症候群」ともいうべき病ではないか。他者を攻撃してまでも、「出番」と「居場所」を狂おしいほど求める。そんな人間が驚くほど多いことが、今回の事件や同じ被害に悩む芸能人らによって明らかになった。なんだか、一億総孤独時代と言わんばかりだ。

 亡くなった花ちゃんには、たくさんの「出番」があった。恋する女性として、失恋した女性として。夢に向かって頑張る女性としての一面で、同居者に怒りをぶつける様子にも光は当てられた。だがそれも愛すべき人間らしさだと、迎え入れる「居場所」は確かにあった。少なくとも、「テラスハウス」の中では。けれどもSNSがリアルの居場所を奪うという、不幸な逆転現象が起きてしまったのだ。

 多くの人にとって、SNSもテレビ同様、孤独を癒やす「薬」だろう。反面、人を傷つける「毒」にもなる。孤独を癒やしていたはずの番組は、孤独な人間を引き寄せ、さらに孤独を再生産してしまった。「テラスハウス」は孤独を食って、大きくなりすぎたのかもしれない。

 悲劇を繰り返さないよう、中傷投稿者を取り締まる法改正の動きも出ているという。しかし必要なのは、テレビやSNSに代わる、孤独と折り合いをつけるための「薬」ではないか。見つけるのは相当に難しい。でも、花ちゃんの無邪気な笑顔にヒントがあるような気もする。

(冨士海ネコ)

2020年6月5日掲載

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