「長嶋茂雄」「王貞治」に「星野仙一」…最大の名誉“永久欠番”にはドラマがある!

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 プロ野球ファンなら「3」といえば長嶋茂雄を、「51」ならイチローを思い浮かべるに違いない。プロ野球選手にとって背番号はもう1つの「顔」といえる大事なシンボルだ。その背番号に関して、各チームにはそれぞれのチームに大きな功績を残した選手、偉大な記録を達成した選手の栄誉を永く称えることを目的とした「永久欠番」がある。その対象となった選手が現役を引退後、監督またはコーチとして復帰した場合に再び付けることはあるが、当該選手以外が付けることはない。まさに名誉の背番号だ。

 日本で初めて永久欠番を制定したのは1947年の巨人だった。この年の6月、チームの主力選手として活躍していた外野手の黒沢俊夫が33歳の若さで急逝したことを受け、その背番号「4」を1944年に戦死していた伝説の名投手・沢村栄治の「14」とともに永久欠番とした。

 ちなみにMLB初の永久欠番は日本より早く1939年から採用されている。当時、不滅の大記録といわれていた2130試合連続出場を続けていたルー・ゲーリッグが病に倒れて引退を余儀なくされた時、彼が1日も早く健康を取り戻すことを願って、ヤンキースがその背番号「4」を永久欠番にしたのが始まりだ。

 その後、各チームが次々に永久欠番を導入していった中、1997年には黒人選手がMLBでプレーする道を切り開いた初の黒人プレーヤー、ジャッキー・ロビンソンを顕彰し、その背番号「42」をマイナーリーグを含めた全ての球団で永久欠番とすることを決定した。当時すでに「42」を付けている選手については継続して使用してもいいことが特例として認められたため、ヤンキースでクローザーを務めたマリアノ・リベラはそのまま使用。リベラが引退した2013年を最後に「42」を付ける選手はいなくなった。こうした全球団共通して永久欠番にするケースは日本にはまだ現れていない。

 現在、日本球界で最も多くの永久欠番を制定しているのは巨人だ。前述の「4」「14」に加えて「1」(王貞治)「3」(長嶋茂雄)「16」(川上哲治)「34」(金田正一)の合計6個だが、上には上があるもので、MLBの最多は何とヤンキースの21個である。

 2017年にデレク・ジーターが引退し、その背番号「2」が加わったことで一桁の番号は全て永久欠番で埋まってしまった。これを見てもさすがにMLBでも一、二の歴史と伝統を誇る名門チームだけのことはあるといえるだろう。

 話を日本に戻すと、巨人に次ぐのは阪神(「10」藤村富美男「11」村山実「23」吉田義男)、広島(「3」衣笠祥雄「8」山本浩二「15」黒田博樹)の3個、中日(「10」服部受弘「15」西沢道夫)、東北楽天(「10」ファン「77」星野仙一)の2個、埼玉西武(「24」稲尾和久)、日本ハム(「100」大社義規)の1個。現時点で東京ヤクルト、横浜DeNA、オリックス、千葉ロッテ、ソフトバンクの5球団にはなく、その数は全部で18個となっている。つまり、長いプロ野球の歴史の間でたったそれだけしかいないということだ。

 この中で北海道日本ハムの「100」はチームをこよなく愛した初代オーナーが2009年に野球殿堂入りしたことを記念して制定されたものであり、東北楽天の「77」は星野の死に際して定められた、日本では初めての監督の永久欠番である。

 また、同じく東北楽天の「10」は新しく誕生したチームを応援してくれるファンをスターティングメンバーの9人に続くものと位置づけて球団創設当初から永久欠番としたもので、実際に選手が付けていない背番号が永久欠番になった唯一の例だろう。

 同様の考え方としては、こちらは永久欠番にはなっていないが、千葉ロッテの「26」がある。これはファンをベンチ入りできる25選手に次ぐ26番目の選手と考え、ともに戦おうとの思いから球団が制定。以来ファンは背番号「26」のユニフォームを着て応援するのがお約束になっている。

 さらに、チームには準永久欠番といってもいい背番号がある。それはチームに貢献した選手が退団した際、永久欠番にはしないものの引き継ぐにふさわしい選手が現れるまで球団がその背番号を預かるというもの。例えばソフトバンクでは小久保裕紀の引退後「9」を凍結していたが、2015年以降は柳田悠岐が付けているし、広島では野村謙二郎の「7」、緒方孝市の「9」、前田智徳の「1」が球団の預かりとなり、その後「7」は堂林翔太、「9」は丸佳浩、「1」は鈴木誠也がそれぞれ引き継いでいる。

 現在、準永久欠番として球団預かりとなっている主なものは、巨人・松井秀喜の「55」、阪神・金本知憲の「6」、東京ヤクルト・古田敦也の「27」、オリックス・福本豊の「7」、イチローの「51」、北海道日本ハム・ダルビッシュ有、大谷翔平の「11」など。これから先どんな選手がこうした「重い番号」を背負うのか、そしてまた、現在活躍しているどの選手の背番号が永久欠番になるのか、どちらも大いに楽しみだ。

清水一利(しみず・かずとし)
1955年生まれ。フリーライター。PR会社勤務を経て、編集プロダクションを主宰。著書に「『東北のハワイ』は、なぜV字回復したのか スパリゾートハワイアンズの奇跡」(集英社新書)「SOS!500人を救え!~3.11石巻市立病院の5日間」(三一書房)など。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年6月5日掲載

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