愛の不時着、梨泰院クラスに続く「韓国ベストセラー」本に見る「日本の小説・漫画・映画」

エンタメ 文芸・マンガ 2020年5月27日掲載

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3浪に兵役とバイトで…

 Netflixで大人気の韓国ドラマ「愛の不時着」、「梨泰院クラス」。そういった映像作品と同様に、かの地で25万部のベストセラーとなっているのが、ハ・ワン著『あやうく一生懸命生きるところだった』。受験、就職、出世……と超がついて無限ループのように続く競争社会で、生きづらさを抱える韓国人の心に響いたようだ。著者の40歳男性は、この本の中で影響を受けた日本の小説や漫画についても言及している。

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“自分のことを書いた本かってくらい、共感だらけの内容だった”

“今を生きている人たちの悩みや不安が、この本の中に溶け込んでいる”

“読み進めるごとに、心の重荷を少しずつ手放せるようになった”

 などと、ハ・ワン著『あやうく一生懸命生きるところだった』日本語版の帯には、韓国サイトのレビューから抜粋された惹句が並んでいる。

 著者は決して裕福な家庭の出身とは言えない男性で、40歳にしてイラストレーターと会社勤めの2足の草鞋を脱ぎ捨ててフリーとなった。株式投資の失敗や自殺を試みた過去も語られる。

《いつかはみんな退職する。僕はほんの少し早く会社員を辞めただけ》

《ひょっとすると、僕らは仕事に対し、あまりにも多くのことを望みすぎているのかもしれない》

 そう振り返る彼は、美大受験に3度失敗、せっかく入った大学での学業もバイトでおろそかになり、兵役もあったりして満足に勉学を修めることができないまま卒業。3年のプータロー生活の後に、ひょんなことから編集デザイン会社に就職。そこから絵本やイラストの仕事が舞い込むのだが、先に触れたように、会社を辞めることになった。

 そんな彼は、日本のコンテンツにどっぷりつかる青年時代を過ごしていたという。

《中学生になると漫画を読むようになった。1990年代に入り、それまで禁止されていた日本の漫画が韓国に入り始めたからだ。『スラムダンク』『ドラゴンボール』『シティーハンター』『きまぐれオレンジ☆ロード』『らんま1/2』……手当たり次第に日本の漫画を読みあさったが、それこそ新世界だった》

《よい子のための(?)韓国の漫画しか読んだことがなかった僕にとって、日本の漫画を読んだときの衝撃と言ったら……離乳食しか知らなかった赤子が、初めて味のついた料理を食べたときのようなインパクトだった》

《日本の漫画は、それはもうめちゃくちゃ面白く、愛国心なんてどこ吹く風の代物で、こんなに面白いものをずっと読んできた日本人に嫉妬を覚えるくらいだった》

村上春樹『風の歌を聴け』から

 あるいは、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』のこんな場面を紹介する。

 太平洋のど真ん中に遭難した男が浮き輪を掴んだ状態で漂流している。すると、同じように浮き輪を掴んだ女が泳ぎながら男に近づいてくる。2人は海に浮かんだまま並んでビールを飲み、夜を通して話を続ける。それから女は島のありそうな方を目指して泳ぎ始め男はそのままそこでビールを飲み続けた。女は2日2晩泳ぎ続けてある島に漂着、男は二日酔いのまま飛行機に救助される。

 男女は小さなバーで数年後に再会する。女は泳ぎながら「男が死ねばいいのに」と思っていたと告白する。女はそれこそ腕がもがれるほどに大変な思いをして泳いで助かったようで、その場に単にいただけの男も助かったことを素直に受け入れられない。

 著者は、このシーンについて、こう綴る。

《20代のころ、初めてこの文章を読んだときは、「何だかモヤモヤする話だなあ」くらいに考えていた(それでも僕は村上春樹の大ファンだった。その意図するところをわかりもしないのに)》

《ところが最近読み返してみたら、以前とは違う感覚を覚えた。努力したって、必ず報われるわけではない。ひょっとしたら村上春樹は、このエピソードからそんなことを言いたかったのではないか》

《努力はいつでも僕らを裏切る。努力すればするほどに運命が残酷だと感じざるをえない。そう、あの小説の「女」のように――。「あんまりじゃないか」と嘆く僕らの心を、村上春樹は不思議なアプローチでなだめてくれている。これだから村上春樹は嫌いになれない》

 そして、こう結ぶ。

《人間は生まれつき不公平に作られている。何事も頑張れば叶うなんてウソだ。君の努力が足りないせいじゃない》

 続いては、漫画『散歩もの』(久住昌之原作、谷口ジロー作画/扶桑社)の主人公・上野原譲二について触れたくだり。

《外回りの仕事を終えて、その周辺を見て回るのが物語のお約束だ。そのうち道に迷い、どこか知らないところに出たりもするのだが、そんなときに彼はこう語る。「やっぱ俺って散歩の天才かも」「テレビや雑誌で見かけた場所へ出かけていくのが散歩ではない」「理想的なのは“のんきな迷子”なんちゃってね」》

 そこから、ショッピングや旅行における回り道の喜びを謳い、

《やはり、計画以上に大切なものは“のんきさ”ではないだろうか? 遊びに行くのに、のんきじゃなくてどうする。デートも、散歩も旅行も、できれば人生も。目的のない、優雅なムダ足を楽しもう。楽しみとはそんなときに訪れるのかもしれない》

なりたい大人になれると思ったら大間違いだぞ!

 同じ久住×谷口コンビによる『孤独のグルメ』の主人公も著者が心惹かれる1人だという。

「まずは当たって砕けろだ。失敗したときは後悔すればよし」というドラマのセリフを引用。様々な土地に赴き、自分を満足させてくれる食堂を感覚だけで探し出す主人公は、スマホでとりあえず検索する自分たちのアプローチとは全く違うと指摘。そしてこう続ける。

《検索すればたくさんのレビューに触れられる世の中だ。確かに便利だし、失敗もうんとすくなくなった。しかし、失敗が減った分だけ、楽しみも減ったような気がする。自分が選ぶ楽しさ、未知のことが教えてくれる楽しさのことだ》

 また、是枝裕和監督の映画「海よりもまだ深く」についても言及している。15年前に文学賞を取ったもののその後うまく行かず、探偵事務所で働く男は顧客からカネを巻き上げてはそれをギャンブルにつぎ込む日々。高校生から巻き上げるシーンで、こんなセリフが交わされるという。

高校生「あんたみたいな大人にだけはなりたくないですよ」

男「そんなに簡単に、なりたい大人になれると思ったら大間違いだぞ!」

 著者は言う。

《でも、夢見た通りじゃない今の人生は、はたして失敗なのだろうか?》

《自分の人生だって、なかなか悪くはないと認めてからは、不思議とささいなことにも幸せを感じられるようになった。こんなことにまで幸せを感じられるのかってほどに》

 韓国では、『あやうく楽に生きるところだった』という本も出版されたという。

週刊新潮WEB取材班