只今コロナ休業中。月収18万円ネットカフェ難民の「微妙な」半生

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俺を●●●と一緒にされちゃ困る

――とはいえ、理容師さんなら仕事には困らないのでは。

アサオ: いや、ツブシきかないよ。その後、1000円カットだとか、地元(長野県)だとかで働いたんだけど、1000円カットは馴染めなくて1年くらいで辞めて、地元の床屋は雇われるときには「月23万」だって言ってたのに、実際は10万くらいだったから辞めた。このとき30代前半だったかな。

――10万はきついですね。それで、理容師を辞められた。

アサオ: ああ。もう地元に戻りたくなかった。三重県の恩人のところで畜産の手伝いをやっていたのだけど、その人が死んじゃって。日比谷公園でぶらぶらしていたら、横浜の飯場のまかないの食堂で手伝いとして雇ってもらえることになったが、ここもリーマンショックで飯場が傾いて、なんだか締め付けが厳しくなって。働きづらくなったから辞めた。

 それから警備員になった。警備員は寮付きだったんだけど、ルールがごちゃごちゃとうるさくてさ。仲の良かった友達が辞めたから俺も辞めた。その後、この友達は生活保護をもらったけれども、俺はそういうのは嫌だからもらっていない。

――生活保護は嫌。

アサオ: 当たり前だよ。そこまで落ちちゃいねえよ。あとさ、いまの神奈川県立武道館に、●●(注:神奈川県内の生活困窮者の多い地域)の困窮者支援のNPOなんかも来てるんだけどさ。俺を●●なんかの●●●と一緒にされちゃ困る。俺はちゃんと働いてんだから。

月収18万円はパチンコへ消える

――いまの収入って、うかがってもいいですか?

アサオ: いいよ。派遣会社の給料は、朝8時から夕方5時まで働いて日払いで8000円で、土日は仕事が休み。あと、毎月25日に残業代とか交通費が振り込まれる。毎月2万くらいだ。いま、酒飲んでるのはそのカネが入ったからだよ。

――本来は交通費等が振り込まれるのは25日ですが、4月は25日が土曜日なので、週明けの今日(27日)が支給なんですね。だから、インタビュー前から飲まれていた。

アサオ: そうだよ。だから飲んでた。カネを払うのを2日も繰り延べやがって、あの派遣会社はひでえんだ。

――週5日勤務で日給8000円とプラス残業代なら、計算上ではいまの月収は18万円くらいでしょうか。けっこうありますよね。

アサオ: 計算したことないが、そうなのかねえ。でも仕事終わるとさ、遊んじゃうだろ。日払いでもらったカネは残らねえよ。ボート(競艇)とパチンコ。仕事が終わってから夜の11時くらいまでパチンコを打つと、ネットカフェの滞在費が、パックよりも毎時割りで計算して安くなるんだ。

――アパートを借りるとかは、なさらないんですか。

アサオ: 俺も好きこのんで「宝島24」で暮らしてるわけじゃねえし、まあ、そりゃあ自分のアパートの部屋なんかがあったほうがいいよ。でも、そこにたどりつけないな。初期費用が大きくて住めないじゃないか。

 貯金? ないよ。あるわけないだろそんなもん。数万円もない。まあ、俺はそのへんでポンと死んでもいいやと思ってるんだけどね。

「ドヤ」がネカフェに変わっているだけ?

 日本でネットカフェ難民という言葉が市民権を得たのは2007年、日本テレビ系の情報番組が初出とされる。ネットカフェというサイバーなイメージの施設を舞台にしていることもあり、当初はどちらかというと、いわゆる就職氷河期世代のロスジェネ(1970~82年生まれ)の若者が落ちていく先……という、現代風の格差問題の象徴として語られることが多かった。

(もっとも、厚労省が2017年6~7月に実施した「住居喪失不安定就労者等の実態に関する調査」では、当時の時点で40代以上の世代が5割弱を占めているので、もともと「若者の問題」とは限らなかったようだが)

 アサオさんから感じるのも、現代風の若者の貧困問題とは違う雰囲気である。いわば、東京の山谷や大阪の釜ヶ崎に存在した日雇い労働者向けのドヤ(簡易宿所)が、いまどきはネットカフェやビデオボックスに置き換わっていると考えたほうが妥当かもしれない。普通に考えても、価格競争力や店舗の多さ、清潔感などからして、ドヤよりもネカフェやビデオボックスのほうが快適な場合も多いだろう。

 今回のコロナ禍がもたらす日本経済へのダメージは、往年のリーマンショックを上回ることが確実視されている。大恐慌によって貧困層ほど深刻なダメージを受けることも言うまでもない。

 ゆえに、アサオさんからは今後もぜひ継続して話を聞きたいと思っていたのだが――。5月6日に神奈川のネットカフェ難民受け入れが終了して以降、携帯電話を持たないアサオさんの行方は杳として知れない。

 彼がこの時代を、なんとか生き残っていくことを祈るばかりだ。

安田峰俊
1982年、滋賀県生まれ。広島大学大学院文学研究科修士課程修了(専攻は中国近現代史)。中国問題をメインテーマに硬軟とりまぜた執筆活動をおこなっている。多摩大学経営情報学部非常勤講師を経て、現在は立命館大学人文科学研究所客員協力研究員。『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』(KADOKAWA)が第五回城山三郎賞、第50回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。近著に『移民 棄民 遺民』(角川文庫)、『性と欲望の中国』(文春新書)、『もっとさいはての中国』(小学館新書)。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年5月16日掲載

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