中国の新戦略「大湾区構想」が受けた「新型コロナ」の衝撃(下)

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 大湾区は2030年をめどに、「知識集約型産業への転換」「高付加価値サービス産業・内需経済への切り替え」を目指している。

 つまり大湾区は、競争力のある産業と知識集約型産業への転換を大目的にしているということだ。

 その実現には「イノベーション」の役割が重要であり、大湾区は、中国におけるイノベーションの中心地の1つになることを位置付けられているといえる。

 そこで、イノベーションの中心地という大湾区の立ち位置や、「新型コロナウイルス」騒動でそれがどのような変化を遂げていくのかについて検討してみたい。

イノベーションへの影響

 大湾区におけるイノベーションには、これまでに培われてきた地域的な様々な蓄積やインフラ・仕組みが存在している。

 それは、優秀な人材を教育・輩出する香港や広州の多種多様の教育機関、製品を実装化・量産化するサプライチェーンを支える無数の中小企業、起業へ向けてのノウハウを提供する先端企業群、優遇政策をとる行政府などだ。

 まず教育機関についてみていこう。

 現在中国全土で教育機関は閉鎖状態にあるが、新型コロナ騒動をきっかけに学生や研究者が離れるという事態はみられていない。他方、大湾区では多くの教育・研究がオンライン化や遠隔対応をとっているが、中国国内全体も同様であり、教育・研究に差が付くような状況は生まれていない。

 しかし中小企業群や大企業群では、大きな影響が生まれることが懸念されている。

 大湾区、特に広東省の多くの企業は、昨年から近隣諸国にサプライチェーンを移し始めていた。これは米中貿易戦争の関税回避と、高騰する人件費という課題解決のためになされたものである。近距離にあるベトナムへの、大湾区からの輸出品目1位がスマートフォンとなっているのも、その対応の結果であると考えることができる。

 大湾区内では、これまでトライ&エラーをすぐさま繰り返すことができる環境があり、イノベーションにおける優位性を発揮できていた。

 例えば、日本でも注目を集めている深圳市の電子街も、多くは中小企業が製造している部品によって成り立っており、そこから様々なイノベーションが生まれてきている。

 しかし今回の新型コロナ騒動をきっかけに、サプライチェーンの一極化はリスクが高まることが判明したため、生産能力を移管・分散するという状況が加速化すれば、大湾区はその優位性を失いかねない状況が生まれてきている。

 一方、新しい可能性も見出すことができる。

 1つ目は、新たな需要に対応する企業が現れてきたことだ。深圳市に本社がある「テンセント」は、グループ会社を通じて新たなオンライン会議アプリを生み出している。また感染者識別装置の開発を進めるベンチャー企業なども誕生している。このようにスピード感を持った対応も生まれてきているのである。

 2つ目は、企業の生存競争が進展したことである。今回の騒動の関係で、低廉な製造業や付加価値の低い産業が消滅し、大湾区内により高度な研究や開発に資源が集中されるような状況が生まれてきている。

 このように、ピンチをチャンスととらえ、いかにイノベーションが生まれる環境を維持するかがカギとなっている。

地方政府ごとで異なる支援策

 大湾区の政策および対策の実行主体は、各地方政府となっている。広州市政府、深圳市政府、香港政府などが個別の対策を打ち出しており、大湾区自体が全体として目立った政策を行っているわけではない。

 これは、大湾区という枠組みが各政府間の共同で成り立っているものであり、中国国務院も参画はしているが、結局は地方政府が中心の構成メンバーになっているからだ。

 つまり大湾区は、各地方政府が全体の共通利益につながるような交通網やニュータウン建設などのインフラ開発、人や資金の移動を促す法制度、さらに企業誘致や税制優遇について、相互の協力と競争を繰り返しながら、発展してきたのである。

 ところが、新型コロナ騒動という特殊な状況においては、各地方政府が自地域を防衛するために個別で対策を取らざるを得ない状況が多々あった。そのことから、地域共同体のなかでどこまでの権限委譲と権限の集中化を行うかという問題・課題が、明確に浮き彫りにされてきているといえるだろう。

 そのような状況を踏まえて、大湾区の各地方政府が取り組んだ復興支援政策を簡単に紹介する。

 まず法人税をはじめとする各種企業への支援に関する政策をみていこう。

 深圳市政府は、

「ウイルス騒動が終了後3カ月の期間を設け、法人税の納付を延長する。また各社企業負担分の社会保険費用の納入についても減免または延長などを行う」

 としている。

 また広州市政府は、

「各種金融機関が、今回のウイルス騒動で影響を受けた個人または企業に対して低利子での貸し出しを行うように要請する。昨年度から10%以下の貸し出し利率であることが望ましい」

 という要請を出している。

 また、市民への様々な給付措置もとられている。

 香港やマカオでは、永住権を持つ市民に対して直接的な現金支給などが行われた。

 特に香港は、「1万香港ドル(約14万円)の現金支給」とした。これは香港政府が、黒字を長年にわたって続けてきたことによる、財政的な余裕から生まれた対応といえるだろう。

 これに対して広東省では、タクシー代の補助などはあるが、控えめな規模での支援があるのみである。

 以上のように、各地方政府は様々な取り組みを行ってはいるが、それぞれ財源や政府権限が異なっており、統一した対策が打てていない。

 大湾区内の発展は地域間の協力と競争の相互作用で、そのダイナミズムが生まれていた。ところがそれが、こうした危機によって問題や課題を顕在化させてきている。

 大湾区構想が今後さらに進展し、より大きな成果を生み出していくうえで、地域間の多様性と統一性のバランスを考えた有効な方策や仕組み作りが必要になるのではないか――こんな問いが、大湾区および中国政府に投げかけられているのではないだろうか。

今後の展望は

 大湾区は、3つの通貨、関税、法制度領域を含む「1国2制度3関税」の存在する地域である。広東語という共通言語があるとはいえ、各地域が歩んできた道のりも社会背景も大きく異なる。

 地域統合構想といえば、EU(欧州連合)が挙げられる。その道のりは1950年代以降のECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)やEEC(欧州経済共同体)などの経済協定から始まり、半世紀以上の道のりをかけてきた。国家の枠組みを残したうえでの地域統合という意味では、EUも多くの困難を乗り越えてきた。

 大湾区構想はEUを模範として、同地域における社会制度や税制度、生活圏の構築が進められてきてはいるが、そのあるべき姿をどの位置に設定するかによって、その方向性や環境は大きく変わってくるであろう。そのあるべき姿の1つとして、例えば香港側の考える「大香港区(GREAT HONG KONG AREA)」という考え方もある。

 大湾区構想が本格的に進められたのは2010年代以降であり、いまだ若い地域統合構想であるといえる。今回の新型コロナ騒動という困難を乗り越え、そこで生まれた様々な問題や課題を克服していくなかで、今後の道のりも固まっていくだろう。

 またそれは、中国自身の発展の方向や、国際的な関係の構築に大きく影響していくと考えることができる。

 その意味からも、隣国である日本は、中国の方向性や可能性を知るうえで非常に重要な地域である大湾区の今後の変化に、もっと目を向けていく必要があるだろう。

加藤勇樹
中国名は「余樹」。香港を拠点に日系企業向け人材・ビジネスコンサルティングを行う「FIND ASIA」華南地区責任者 、およびスタートアップを資金・ノウハウで短期支援する「Startup Salad(スタートアップ・サラダ)」日本市場オーガナイザー。2015年より「FIND ASIA」にて広州・深圳・香港で活動。2017年より現職。

鈴木崇弘
城西国際大学大学院国際アドミニストレーション研究科研究科長・特任教授、および『教育新聞』特任解説委員。宇都宮市生。東京大学法学部卒。マラヤ大学、イーストウエスト・センター奨学生として同センター及びハワイ大学などに留学。設立に関わり東京財団・研究事業部長、大阪大学特任教授・阪大FRC副機構長、自民党の政策研究機関「シンクタンク2005・日本」の理事・事務局長も歴任。法政大学大学院兼任講師、中央大学大学院公共政策研究科客員教授、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)事務局長付、厚生労働省総合政策参与などを経て現職。1991~93年まで アーバン・インスティテュート(米国)アジャンクト・フェロー。PHP総研客員研究員、『Yahoo!ニュース』のオーサー、一般財団法人未来を創る財団アドバイザーなども務める。大阪駅北地区国際コンセプトコンペ優秀賞受賞。主な著書・訳書に『日本に「民主主義」を起業する…自伝的シンクタンク論』(単著、第一書林)、『学校「裏」サイト対策Q&A』(東京書籍)、『世界のシンク・タンク』(共に共編著、サイマル出版会)、『シチズン・リテラシー』(編著、教育出版)、『アメリカに学ぶ市民が政治を動かす方法』(監共訳、日本評論社)、『Policy Analysis in Japan』(分担執筆)など。専門は公共政策。

Foresight 2020年5月13日掲載

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