吉村大阪知事の後に続け… コロナ禍で知名度がアップした知事「6人」の横顔

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長崎幸太郎・山梨県知事(51)。1期目。年間報酬2090万円(推定)

 県の財政面の問題もあって、休業要請に協力した事業者への金銭的支援を行っていない。その分、医療体制を充実させるという。また、本来は約125万円である自らの5月分給与を1円にする。

 給与を全額返すと、政治家の寄付行為を禁じた公職選挙法に違反する恐れがある。このため、最低金額である1円になった。新型コロナ対策に取り組む「覚悟の表れ」としている。

 給与返上は賞賛する声が県内外から上がっているものの、一方で「寄附にまわすべき」などと冷ややかに見る意見もある。なお、愛媛県の中村時広知事(60)も136万円の給与1か月分を減額すると表明した。

 山梨県は2月28日には感染者や濃厚接触者となって仕事を休まなければならなくなった人に生活費として1日4000円助成すると発表。感染者への助成は全国で初めてだった。

 長崎知事は東京の開成高を経て東大法学部を1991年に卒業。当時の大蔵省に入り、主計局総務課企画係長や山梨県企画部 総合政策室政策参事、主計局地方財政係主計官補佐などを歴任した。在職中に国費でコーネル大学ロースクールを修了。

 2005年の衆院選で山梨2区より南関東比例代表にて初当選。自民党公認だった。2009年衆院選は無所属で山梨2区から出馬し落選(次点)。2012年衆院選はやはり無所属で当選。2014年も無所属で当選したものの、2017年は無所属で落選(次点)。

 無所属を強いられたのは郵政造反組として離党していた同じ選挙区の故・堀内光雄元通産相が復党したため。2019年の知事選では自民公明両党の推薦を受けており、立憲民主と国民民主の両党の推薦を受けた現職を破った。

 家族は夫人と1男1女。座右の銘は「不惜身命」「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」

大野元裕・埼玉県知事(55)。1期目。年間報酬2383万円(推定)

 自宅待機していた県内の患者2人が相次いで死亡。入院できず、軽症者用のホテルにも入れなかった。そもそもホテルの確保が遅れた。

 1人目は4月17日、2人目は同21日にそれぞれ亡くなった。1人目の死の情報は共有化されていなかった。もし、共有化されていたら、2人目は亡くならずに済んだ可能性がある。大野知事は「このような事態に至った我々の責任は重いと考えている」と語り、事実上謝罪した。

 県内の感染者は3月31日までに90人に達していたが、大野知事は同日の記者会見の中で、当時は発出前だった緊急事態宣言について、「私権の制限などを伴うものは最小限で慎重であるべきで、国民や県民に対してしっかり説明ができるような緊急事態宣言の発出でなければならない」と持論を展開した。

 政府により緊急事態宣言が発出された4月7日も「不要不急の外出自粛要請」などを出したものの、事業者への自粛要請はしなかった。もっとも、感染者数が増加一途だったこともあり、同10日には方針を一転させる。東京都などと同じく、5月6日まで劇場やキャバレー、学習塾などに、施設の利用やイベントの停止を要請することになった。

 埼玉県川口市生まれ。慶應義塾高、慶應義塾大法学部を経て、新潟県にある国際大修士課程を修了。1989年に外務省に入省した。

 在イラク日本大使館専門調査員、在カタール日本大使館専門調査員、ヨルダン日本大使館書記官などを歴任。中東問題のエキスパートとして名を馳せる。2001年、川口市の総合ビルメンテナンス業・ゼネラルサービスの専務取締役に。2005年より5年間、防衛省防衛戦略委員会委員を務める。

 2010年の参院選に埼玉県選挙区から出馬し、初当選(民主党公認)。2016年に再選(民進党公認)。2019年、参院議員を辞職し、知事選に出馬。立憲民主党県連、国民民主党県連、社民党県連合が支持し、共産党の県委員会が自主支援した。

 自民、公明の両党が推薦した元ヤクルトスワローズ内野手でスポーツライターの青島健太氏(62)との事実上の一騎打ちになり、初当選。選挙戦では「日本一暮らしやすい埼玉を実現する」と訴えた。

 家族は夫人と1男2女。祖父は元川口市長の故・大野元美氏。座右の銘は「立国は公にあらず私なり」

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 元大阪府知事の橋下徹氏(50)は4月25日、大阪ローカルの情報番組で、「知事がポンコツとポンコツじゃないのがはっきりした」と語った。もっとも、今評価を下すのは早計ではないか。新型コロナ対策はまだ続く。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
ライター、エディター。1990年、スポーツニッポン新聞社入社。芸能面などを取材・執筆(放送担当)。2010年退社。週刊誌契約記者を経て、2016年、毎日新聞出版社入社。「サンデー毎日」記者、編集次長を歴任し、2019年4月に退社し独立。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年5月11日掲載

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