「ビートたけし」愛人妻と「高倉健」養女 その奇妙な共通点とは?

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 今年2月、8年の交際を実らせて18歳年下の妻とゴールインしたビートたけし(73)。2014年11月に死去した高倉健(享年83)は、その後、元女優と養子縁組していたことが明らかになる。愛人妻、養女とそれぞれ立場は違うものの、芸能界と映画界で頂点を極めた2人が選んだ「最後のオンナ」。彼女らには多くの共通点があった。(※過去に『週刊新潮』で掲載された記事に加筆・修正をしました)

密葬で済ませ、戒名は不要…

 高倉健(本名:小田剛一)が文化勲章を受けたのは2013年11月のことだった。その会見で、「200何本という膨大な本数の映画をやらして頂きましたけど、ほとんどが前科者。そういう役が多かったが、こんな勲章を頂いて」と喜びを口にしたうえで、「これからの作品選び、章に恥じないものをやらなければいけないと思っている」と、次回作への意欲を述べた。しかし、そのちょうど1年後の14年11月10日、悪性リンパ腫で息を引き取った。

 所属事務所「高倉プロモーション」が、〈故人の遺志に従い、すでに近親者にて密葬を執り行いました〉と発表したのは、11月18日で、密葬は12日に行われている。健さんは4人きょうだいの2番目で、兄と妹はすでに亡くなっていた。一番下の妹である敏子さんは九州在住。そして彼女を含む健さん以外のきょうだいには、それぞれ2人ずつ子供がいる。すなわち、健さんから見れば甥や姪にあたる人たちだ。とはいえ、彼らに対して密葬の時点では、健さんの死さえ伝えられていなかった。

 その代わりに、密葬に列席を許されたのは、島谷能成・東宝社長、岡田裕介・東映会長、田中節夫・元警察庁長官、老川祥一・現読売新聞グループ本社代表取締役会長、そして降旗康男監督(19年に物故)の5名。“身内”と呼べるのは、血の繋がらない養女(56)1人だった。彼女はその後、自分から養女であることを明かし、19年秋には高倉プロ代表・小田貴月として自著を出版。17年に亘って、“家政婦”然として人知れず高倉健の身の回りを世話してきた苦労、高倉健の遺志と名誉を守ることが使命だと訴えた。もっとも、健さんの肉親に聞くと、彼女の違った像が見えてくる。

「私が兄の死を知ったのは、葬儀のあった11月12日の夜でした。養女の存在を知ったのは(亡くなって半月後の)11月27日。ようやくその頃から色んな事情がわかってきたんです」

 と話すのは、健さんの実の妹である敏子さん。養女は唯一の相続人として、健さん名義だった東京・世田谷区瀬田の豪邸などを相続した。敏子さんはそういったことに不満があるわけではまったくない。

「まず、お通夜の場ではお線香すらあげられなかったそうです。養女の方が“煙が嫌い”だからということでした。それから、弁護士を通じてやり取りが始まったのですが、先方からは、没後の処置について、すべて兄の意向に従ったまでだということでした。密葬で済ませ、戒名は不要、四十九日をするつもりがなく、鎌倉霊園の墓地にも入らず、散骨することになる……。すべて兄本人の考えだと」

 鎌倉霊園には、1971年に離婚した江利チエミとの間の水子が祀られている。

「お墓を買った時に兄から、“すごくいいところにあるから。鎌倉来たら連れて行く”と電話がありました。兄は折に触れて線香をあげに出向いていましたし、自分自身も亡くなればそこへ入るつもりで、知人と墓石を見て回っていたほど。そうやってしてきた人が、散骨なんて言うわけがありませんよ」

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