まさに“成り上がり”!全く「無名」の存在から「一流」に大化けした投手たち

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 昨年のプロ野球開幕戦、一つのことがニュースとなった。開幕投手を任せられた12人の先発投手のうち、メッセンジャー(阪神)を除く11人がシニアリーグやボーイズリーグなどの硬式クラブチームではなく、中学校の軟式野球部出身だったのだ。ちなみにその11人の顔ぶれは以下の通りである。

巨人:菅野智之
DeNA:今永昇太
広島:大瀬良大地
中日:笠原 祥太郎
ヤクルト:小川泰弘
西武:多和田真三郎
ソフトバンク:千賀滉大
楽天:岸孝之
ロッテ:石川歩
日本ハム:上沢直之
オリックス:山岡泰輔

 この中には、強豪の東海大相模出身の菅野や高校3年夏の甲子園にも出場した大瀬良、高校時代からドラフト上位候補だった山岡なども含まれているが、高校時代は全く無名だったという選手も少なくない。また、最近では小学校、中学校時代に投手として大活躍しておらず、高校時代も地元の公立高校で登板過多を逃れられた結果、その後に大成したというケースもよく見られる。今回はそのような“非エリート”でありながら、プロで一流選手となった投手について紹介してみたい。

 現役で非エリートからエースに上り詰めた代表例と言えば、上記した開幕投手にも名を連ねている千賀となるだろう。中学時代は学校の軟式野球部でプレーしており、高校も地元の愛知県立蒲郡高校へ進学。蒲郡高校は、甲子園はおろか愛知県内でも実績のあるチームではなく、過去10年間の最高成績は夏の愛知大会3回戦進出という、いわゆるどこにでもある“普通の公立高校”である。

 千賀自身も中学時代は主にサードとしてプレーしており、高校では故障も多く、目立つような成績は残していない。3年夏にも初戦となる2回戦で5失点完投勝利をおさめているが、続く3回戦では、先発することはなくリリーフでの登板で高校野球を終えた。もちろん、全国的にも全く無名の存在で、プロ入りに際しては県内のスポーツ用品店の店主からプロ球団のスカウトへ送られた情報がきっかけだったと言われている。

 それでも育成4位という順位が当時の評価の低さを物語っていると言えるだろう。プロ入り後は2年目の4月に支配下登録され、3年目には中継ぎとして大活躍するなど瞬く間にスター選手への階段を駆け上がった。

 幸運だったのは担当スカウトだった小川一夫が千賀の入団と同時に二軍監督に就任したことである。よくスカウト部門と育成部門のコミュニケーション不足が原因で入団した選手が伸び悩むこともあると言われるだけに、この人事が生んだ効果は大きかったと言えるだろう。

 千賀は高校から育成選手としてのプロ入りだったが、高校時代は無名でも大学で一気に伸びるケースは非常に多い。冒頭で紹介した11人の開幕投手の中でも笠原、岸、石川などがその代表例と言え、全員が県立高校出身である。千賀についてはプロ入りのタイミングが良かったということについて触れたが、大学進学のタイミングという意味では笠原も良かったと言えるだろう。

 笠原の出身高校は新潟県立新津高校。1984年に選抜出場した実績はあるものの、それ以降は県内でも目立った成績は残していない。笠原は2年時からエースとなり、3年夏には県内屈指の強豪である新潟明訓を相手に9回表までリードするという接戦は演じたものの(結果は9回裏に逆転されて4対5でサヨナラ負け)、決してプロから注目されるような選手ではなかった。そしてそんな笠原が進学したのが、野球部が新設されたばかりの新潟医療福祉大だった。

 チームの初代監督は新潟明訓で甲子園出場経験も豊富な佐藤和也氏が務め、そんな新興チームで笠原はメキメキと力をつけていくことになる。新設校ということで関甲新学生野球連盟の三部リーグでのスタートだったが、早くから主戦となり、3年春のリーグ戦終了後には一部に昇格。そして一部初挑戦となったその年の秋にはリーグ新記録となるシーズン73奪三振もマークしている。素質の良さがあったことは間違いないが、野球部の一期生ということで上下関係に悩まされることもなく、また早くから登板の機会を与えられたこともステップアップに繋がったことは間違いないだろう。

 千賀や笠原は無名ではあったものの高校時代からチームではエースだったが、さらに遅咲きで開花した選手も存在している。中日リリーフ陣の一角を支える又吉克樹だ。

 又吉の出身は沖縄県立西原高校。昨年夏の沖縄大会では準決勝に進出しているが、又吉が在籍していた3年間は夏の大会で1勝しかしていない。そして、又吉自身は当時160cm台の身長だったこともあって、セカンドの控え選手だったのだ。ただ打撃投手としてコントロールが良かったこともあって、環太平洋大では本格的に投手に転向。リーグ戦でそれなりの結果は残したものの、プロや社会人から声がかかることはなく、四国アイランドリーグの香川へ入団している。香川で大きく才能が開花。1年目からリーグトップの13勝をマークし、2013年のドラフトで中日から2位指名を受けたのだ。

 ちなみに2位という指名順位は国内の独立リーグから指名された選手の中でいまだに最高の順位である。プロでも1年目から3年連続で60試合以上に登板するなどその順位に見合った活躍を見せており、高校時代は控えセカンドだったことを考えると、驚きの出世と言えるだろう。

 代表的な例として千賀、笠原、又吉と三人の投手を紹介したが、中学時代は無名で、高校でも地元の公立高校に進んでも、その後に大きく才能が開花している選手は他にも大勢いる。このような例を見ていると、早くからプロの道を諦めることは非常にもったいないと言えるのではないだろうか。今後も彼らのように、無名の存在から一躍球界のスターになるような選手が一人でも多く飛び出してくることを期待したい。

西尾典文(にしお・のりふみ)
野球ライター。愛知県出身。1979年生まれ。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行う。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年5月6日掲載

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