古市憲寿「コロナで突如老後が訪れた気分です」――「あの人の#おうち時間」(4)

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 新型コロナによる「おこもり」は不自由だけれども、自由な時間は山ほどある!ということで、人生に突如として現れた「おうち時間」の過ごし方を紹介してもらうこの企画。第4回は社会学者で作家の古市憲寿さん。さて、いかがお過ごしですか?

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 突如として「老後」が訪れた気分である。週に何時間かだけ仕事のために出掛け、あとは家にいる。友人と直接会うことはほとんどなくなり、再会の日がいつになるかもわからない。リタイアした人の毎日のようだと思う。

 ありきたりだが、こんな時でもないと絶対に読まない本に手を出している。

 たとえば最近では『小右記』(吉川弘文館)。約千年前の宮廷社会を生きた知識人、藤原実資の日記だ。倉本一宏さんの現代語訳が刊行中なので、興味のある箇所から拾い読みしている。

 ハイライトは藤原道長が「望月の歌」を詠んだ夜の描写だろう。時は1018年10月16日。娘である威子の立后を祝い、大宴会が催された。そこで「この世をばわが世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」という有名な歌を詠むのである。

 あらためてだが、「この世」を「わが世」と言い切ってしまっているのがすごい。確かに太皇太后、皇太后、皇后の「三后」を自分の娘で独占してしまったのだ。そう思う気持ちもわかる。

 もっとも『小右記』によれば、道長は歌を披露する前に「誇っている歌である。但し準備していたものではない」というエクスキューズをしていたらしい。少しばかりの照れがあったのだろうか。

 ちなみに道長は自身の日記である『御堂関白記』には「望月の歌」の内容を残していない。「私は和歌を詠んだ」とあるだけだ。『小右記』に記録されたことで、この歌が千年の時を経て残ってしまったのだ。今でいえば総理大臣が酔っ払って内々に披露した歌を、夫人がFacebookにアップしてしまうようなものか(架空の話です)。

 興味深いのは翌日17日の描写だ。その日にも道長と実資は会っているのだが、道長は視力の低下を嘆いているのである。昼夜問わず、目がよく見えないのだという。望月(満月)を「わが世」にたとえた道長だが、実際に夜空に浮かぶ満月を眺められていたかも怪しい。道長は53歳で、亡くなる9年前のことだった。

 フランスの社会学者ピエール・ブルデューが編纂した『世界の悲惨』も、ぱらぱらめくるのが楽しい。日本語訳で全3巻の大著なのだが、本国では1993年に出版、ベストセラーになり何と舞台化もされている。ブルーカラーや教師、社長秘書やナイトクラブの用心棒、フランス社会を生きる、文字通り「人々」に対するインタビュー集だ。

 学術的には統計ばかりを重視する経験社会学への反発があるのだが、単純に当時のフランスの雰囲気を知れるだけでも興味深い。

 あるジャーナリストは、ほとんどの同業者が大手から配信された映像にコメントだけして満足していることや、あらかじめ考えられた筋書きに合わせて取材をし、必要な言葉が出てくるまで何度もインタビューを繰り返すといったことを愚痴っている。現代日本でも聞きそうな話だ。

 こんなふうに、すぐには役立たないことを知っていく。幸せなことだと思う。「いつか読もう」と思って本を集めることがあるが、その「いつか」は永遠に来ないことを覚悟していた。日々の仕事や締め切りに追われるまま、人生は終わってしまうのだと思っていた。

 それなのに、人生の途中で急に「老後」が訪れたのである。しかもその期間は長引きそうだ。楽観的な専門家で夏前、中にはこのような状態が数年、中には10年続くと見る人もいる。その分、国の借金は膨らんでいくだろうから、本当の老後が訪れる数十年後には、高齢者もゆっくりなんてしていられない。死ぬまで働くのが当たり前になっているかも知れない。

 だから人生の順番が少し変わってしまったと思って、この「老後」生活をしばらくは楽しみたいと思う。幸い、「愛の不時着」や「星から来たあなた」といった連続ドラマ、「デス・ストランディング」などのビデオゲーム、小説では『2666』や『重力の虹』など、「老後」のために取っておいたコンテンツは大量にある。

 あ、最後に宣伝。もちろん僕の小説を読んでもらっても! 暗い話なのですが、今の自分がマシに思えてくるかも知れません。『奈落』はこのページ(https://www.shinchosha.co.jp/naraku/)から4万字も試し読みができます。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

デイリー新潮編集部

2020年5月3日掲載

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