未婚のまま出産……小林麻美が明かしたユーミン、芸能界のドンとの日々

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未婚のまま出産

「乱れのない人生は間違っている」とは村上春樹の言葉だが(「村上RADIO」 TOKYO FM)、美しい乱れこそが表現の座標軸だと信じ、高貴と狂気を武器に宝探しを続ける表現者にとって、小林麻美はけがれなく無垢な素材だった。結果、麻美は時代を刻印するミューズとなり、それまで主役と目された多くの人物は遠景に追いやられてしまった。

 出産・結婚を機に、小林麻美は突如芸能界から姿を消すが、それは初めて表明した自分の意志だった。時代のアイコンだった彼女のプライベートは徹底して秘匿された。特に所属事務所社長である田邊昭和との恋愛関係は、(互いに独身であるにもかかわらず)芸能界のご法度として徹底的に。

 大量の酒とタバコ、そして睡眠薬。麻美は悩み、夜な夜な芝浦のゴールドに繰り出し、身を委ねる日々が続いた。

 そこに突然の妊娠発覚である。彼女は自分を強く押し通す。

 未婚のまま出産したのだ。

「小林麻美」は世の中から消える。双子のように仲の良かったユーミンとの交際も途絶えた。鮮やかな女の決別だった。25年間は果てしなく長い。しかし、その時間をかけて彼女は怒涛の生き方を少しずつ調整していった。乗り合いの電車やバスに乗り、イトーヨーカドーで食材を買い、息子の通う学校の役員会仕事に励み、普通の人になっていった。ある意味、それまでの人生に豊かな滋養を与える休息の時間でもあった。

「小林麻美」という芸名を脱いだ25年の空白について、彼女は冗舌だった。

「小林麻美」が伝説なら、夫の田邊昭知の存在もまた同様。いわば伝説と呼ばれる者同士の家庭である。

 田邊は息子を、目の中に入れても痛くないほど可愛がった。

「『忍者戦隊カクレンジャー』のショーを観に真夏の後楽園ゆうえんち(現東京ドームシティアトラクション)や、少年空手大会の応援に真冬の荒川区民会館と、それまで行ったこともないようなところに息子と出かけていきました。私が作ったお弁当をカバンに入れて駅や地下鉄を乗り継いで。それまでの人生や生活とはかけ離れた、子どもとの関わりが楽しかったんだと思います。息子の学校の行事にしてもほぼ皆勤。彼にとって、息子と歩く東京は新鮮だったのではないでしょうか」

 田邊昭知はある意味で芸能界の象徴ともいわれる人物である。その彼が、こうして父親になっていく姿を私は想像した。

 どこにでもある家族の日常。かつて父の不在に苛(さいな)まれた麻美だったが、ここで私はこんな事実を知る。

「父性の喪失が、私たちの共通項だったのかもしれません」と麻美が言った。「東京の真ん中の有楽町で生まれて、泰明小学校に通った。彼の母は女手一つで、年の離れた妹を含めて4人の子どもを育てたそうです。彼はお母様が64歳でこの世を去るまでずっと一緒にいました」

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