野村萬斎の長女が「TBSの局アナ」に “美貌と親の知名度”で即戦力と高い評価

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

Advertisement

二世が採用で評価される事実

 少なからぬ視聴者が「二世アナの採用がフジからTBSに飛び火した」と受け止めるかもしれない。そもそも、どのような経緯を経て、テレビ局は芸能人の子弟をアナウンサーとして採用するようになったのだろうか。民放キー局の関係者に取材した。

「民放の歴史は、昭和28(1953)年に日本テレビが本放送を開始したことに遡ります。それから25年間くらいは、アナウンサーと言えば、基本的にはニュースや番組提供を読んだり、スポーツの実況を担当したりするのが主な仕事でした。今よりも会社員としての色彩が強く、採用試験でも原稿をどれだけ読めるかと、その時のカメラ映りが注目ポイントだったのです」

 もちろん、「芸能人に近いスターアナウンサー」も昔から存在した。NHKなら戦前入局の青木一雄(1917~2001)、高橋圭三(1918~2002)、宮田輝(1921~1990)といった名前や、戦後の昭和24(1949)年に入局した小川宏(1926~2016)の顔が浮かぶ。

 ちなみに高橋は「日本初のフリーアナウンサー」となり、宮田や小川もフリーとなって民放でも活躍。更に高橋と宮田は参議院議員も務めた。

 一方の民放も“自前”のスターアナウンサーを育てていく。昭和38(1963)年に日本テレビに入社した徳光和夫(79)、他社同期であるフジテレビの露木茂(79)と文化放送の土居まさる(1940~1999)がトップランナーだろう。

 その後を、昭和41(1966)年に日テレに入社した福留功男(78)、昭和42(1967)年にTBS入社の久米宏(75)、他社同期でラジオ・文化放送のみのもんた(75)、昭和52(1977)年にテレビ朝日に入社した古舘伊知郎(65)などが続いた。

 女子アナの場合は、昭和33(1958)年にNHKへ入局した野際陽子(1936~2017)がトップランナーと言えるのかもしれない。

 更に昭和38(1963)年にNHKに入った加賀美幸子(79)、昭和45(1970)年に日本テレビへ入社した石川牧子(70)、昭和52(1977)年にTBS入社の吉川美代子(65)といった面々も視聴者の信頼や人気を集めた。

 更に昭和50(1975)年にフジテレビに入社した田丸美寿々(67)、昭和52(1977)年にフジ入社の益田由美(65)、NHKからフジテレビに転じた頼近美津子(1955~2009)などが“女子アナブームの礎を作った”と評されることも少なくない。

「潮目が変わったのは昭和63(1988)年です。この年にフジテレビは有賀さつき(1965~2018)、河野景子(55)、八木亜希子(54)の3人をアナウンサーとして採用しました。たちまち人気を呼び、フジテレビの視聴率も上昇します。日テレも同年に永井美奈子(54)と関谷亜矢子(55)を採用しており、すぐに追随しました。この頃から、特に女子アナには容姿と出演者とトークを繰り広げられる機転が求められるようになり、それはある意味で女子アナの“ホステス化”を推し進めたのです」(同)

 更に女子アナのイメージを変えたのが、平成20(2008)年にフジテレビに入社した加藤綾子(34)だ。芸能人・タレントとの境目が消滅し、テレビ局側もアナウンサーを「給料だけで働いてくれる好感度タレント」と見なすようになっていく。

「タレント化の流れを決定づけたのは、平成22(2010)年に日本テレビへ入社した水卜麻美(32)でしょう。これで民放キー局は『視聴者に顔を知ってもらい、可愛がってもらえる』タイプをアナウンサーとすることに決めました。採用では知名度や容姿の優先順位が上がり、芸能人二世が浮上するようになります。もちろん親が人脈を使ってコネ入社を迫るようなことはありませんが、有名人の子弟であることが採用に際して評価対象になっていったことは事実だと思います」(同)

次ページ:求められる“即戦力”

前へ 1 2 3 次へ

[2/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。