ビジネスマンにも効く「野村克也さん」金言集 野球論より先に選手に説いた“人生論”

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子どもからビジネスマンにまで響いた「野村克也」金言集(1/2)

 その豊富な言葉は、プロ野球界において空前絶後だと言って差し支えあるまい。84歳で逝った野村克也氏。改めて読み返せば、巷にあふれる人生訓を遥かに超える教訓と含蓄に富んでいる。「週刊新潮」ほかに語った珠玉の金言のなかから、選びに選んで届けよう。

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〈振り返れば、ノムさんこと野村克也氏の解説は当意即妙の逆で、試合が次の展開に移っても、前の場面について滔々と喋り続けているところがあった。フリーアナウンサーの朝岡聡氏も、

「野村さんと実況でご一緒するのは、なかなか難しかった」

 と、こう回想する。

「1982年にテレビ朝日に入社し、駆け出しのスポーツアナだったころ、野球中継でお世話になりました。しかし、質問しても、間髪入れずに答えてくれることはありません。沈黙があって、困ったな、と思ったころ、ようやく答えが始まるんです。生中継では沈黙が怖く、3秒が1時間にも感じられましたが、ノムさんは、“短くて美味しいコメントばかりを求めるテレビは、ちゃんと話したい自分には向いていない”と話していました」

 反対に、一定の時間を費やして編み出した言葉には、老若男女を問わずだれにでも響く、ボヤキの皮をかぶった警句が数多く含まれていた。〉

 野球とは? という問いに、僕なら「頭のスポーツだ」と答えます。サッカーやバスケットと違って、プレーとプレーの間に間(ま)をとりますが、その時間はなんのためにあるのか。考えて相手に備えるためです。

〈こうして間を使いながら編み出された金言たち。まずは野球について語られたものを拾ってみる。たとえば選手としての王や長嶋は讃えても、監督としての彼らには容赦がなかった。〉

 長嶋、王を見ると、「名選手必ずしも名監督ならず」には根拠がありますね。彼らは選手に「そんなこともできないのか」って感覚を持つんですが、できないものはできません。速く走る、球が速い、遠くへ飛ばすというのは天性。だから私は、持っていない人間には求めませんが、彼らは自分ができたがゆえに、高いものを求めてしまう。「俺ができてお前がなぜできない」という感覚になるんです。選手はかわいそうですよ。

〈これは、かつて秀才だった親が、わが子に対して陥ることも多い。また、高橋由伸監督のもとで巨人軍が低迷していたときは、こう語っていた。〉

 特に高橋を見てて思うのは、「信は万物の基を成す」という言葉。はたして、彼は選手に信用されているのだろうか。彼が目指す野球を選手たちが理解し、動いている感じが伝わってこないんだな。野球は団体スポーツ。監督への信頼が末端まで浸透していなければ、強いチームはできない。

 高橋も、原辰徳も、お坊ちゃん監督。やっぱり若いときの経験は、自ずと采配や選手起用法に出てくるものです。監督が苦労知らずのお坊ちゃんでは、天性だけに頼ったお坊ちゃん的な野球しかできないのは当然なんですよ。そんな監督では人間教育もできない。

 あと、高橋は外野手出身でしょ。俺の持論は、外野出身者は名監督になれない。野球の大事なプレーは全部、ダイヤモンドのなかで起きている。外野手が考えるのは、どこを守ればいいか、その一点だけだからね。

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