新幹線殺人で無期懲役「小島一朗」からの年賀状 彼が望む“一生刑務所暮らし”の意味

国内 社会

  • ブックマーク

彼が望むもの

 小島一朗を語る上で、重要なのは「岡崎の家」だ。これは大工だった母方の祖父が、「一朗が生まれた記念」として、岡崎市にある母の実家の敷地内に建てた家である。共働きの両親の都合で、彼は3歳までをそこで過ごし、母と祖父母によって育てられた。その後、父親の家である一宮市の家に移り、一家全員が一緒に暮らすことになるのだが、それを快く思わなかったのが、同居する父方の祖母だった。「お前は岡崎の子だ。岡崎に帰れ」「お前は私に3年も顔を見せなかった」、これが彼にとって物心ついていからの最初の記憶である。一方の姉は、生まれてからずっと一宮市の家にいるため、月々の小遣い、服、お菓子など、あらゆるものに違いがあったという。

 いつしか彼は、少年院に「食わせてもらう」ことを考えるようになった。この一宮の家では、「生きる権利」を感じることができなかったのだろう。それは決して大きな要求ではなかったはずだ。

 ある日の手紙には、こう書いてある。

〈生存し続けたいというのは、私のワガママであり、人並みの生活がしたいというのはゼイタクです。食事がしたい、風呂に入りたい、服がほしい、ということは、私は求めてはならず、それが手に入らないということはササイナコトなのです。私はそれが当然であり、当たり前であり、常識であることを受け入れております。だから当時は少年院に行くことにしました。こんな家族、相手にするだけ時間の無駄なので。少年院に入ったほうが早いでしょう。そこでは、生存したいということはワガママではなく、食事をしたい、風呂に入りたい、服がほしい、ということはゼイタクではありません〉
(2019年6月5日の手紙)

〈これがササイナコトだと判断したのは児童相談所と精神科医です。そうです。確かにササイナコトでした。刑務所に入れば、すべての問題が解決するのに、どうして入らないのか。これがササイナコトなのは、当時なら少年院に入ればよいからなのです。そういう解決手段があるのに、そうしないのはワガママであり、そういう解決手段に与るために罪を犯して、自分の手を汚したくないというのはゼイタクなことです。私はこれを子どもの頃から分かっておりました。少年院に入れたらよかったのに、とつくづく思います〉
(同上)

 彼が望んでいるのは、最小限の「生きる権利」でしかない。そして、それを国に託したのだ。

〈私は明らかに刑務所に家庭を求めている。刑務所すら代償行為に過ぎないのだ。保護室はその究極である。というか、私にとって家庭とは、そういう原風景があり、一番それに近いのだ。少年院が一時的に入る場所だった、と当時の私が位置付けていたのは、まさに家庭の代わりだ。そして無期刑になりたいのは、つまり家庭に引きこもるということだ。国家とは神であり、神とは岡崎(私が遣うある特殊な意味における)であり、岡崎(私が遣うある特殊な意味における)とは私の理想の家庭のことであり、人格神ではなく、空間であり、力そのもの。刑務所は岡崎だ〉
(2019年5月13日の手紙)

「岡崎の家」は、彼にとって「理想の家庭」だった。しかしそれは、現実の「岡崎の家」とは違う。幼い頃より父方の祖母に言われた「お前は岡崎の子だ。岡崎に帰れ」から生まれた、幻想としての「岡崎」である。彼は、3歳以前のことを覚えていないために、自分の命が守られる場所として「岡崎」を想像したのだろう。そして「岡崎」の代償として、国家に家庭を求めた。

〈刑務所が岡崎であるには、その空間に力そのものがなければなりません。その力とは、法律のことです。だから私は刑事施設被収容者法第62条を主張する訳で、これが守られない場合、私は死んでしまう訳ですが、だとすればこの世に岡崎という空間はどこにもない訳だから『いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし』という発言が飛び出て、『たとえ全世界を儲けても、己が魂を損じればいったいなんになろう』という行動にでるのです〉
(2019年5月21日の手紙)

 彼は、法律によって自分の命が守られるかを確認し続けようとしている。それはイコール、国家が家庭になりうるかを確認することでもある。

 考えてみれば、小島はホームレス生活で警察から暴行を受けているときも、執拗に「人権」や「生存権」を主張している。しかし警察は、それを無視した。

 一方、刑務所には、被収容者を死なせてはいけないという法律がある。例え食事を拒否しても、点滴を打たれて無理やりに生かされる、関係が切れることもない、それが刑務所だ。彼はそれを逆手にとって、自分に「生きる権利」があるのかを試そうとしている。そうすることで、子どもの頃より求めていた安心感や充足感を得ようとしているのだとしたら、そのために人を殺すしかなかったのだとしたら、あまりにも絶望的な話だ。

 最後の面会の日、私は小島に聞いた。

「これは基本的人権をめぐる戦いなの?」

 すると小島はやんわりと否定した。

「いや、私は基本的人権にそこまで詳しくないですよ。今、岩波書店から出てる人権に関する本を買って読み始めたところで。裁判を通して法律の面白さに気づいて、私もこっちの道に行けばよかったなと思いました」

 彼は言葉通り「基本的人権」について答えた。今考えると、私は「生存権」と言うべきだったのだと思う。それなら答えもかわってきただろう。

「弁護士になればよかったのに」

 この時、私は思わず言ってしまった。小島は地頭が良く真面目な人間であることは、この1年の取材を通してよくわかっていた。手紙には、聖書や仏教書、古典や哲学書からの引用が多々あった。事件さえ起こさなければ、いろいろな可能性があったはずだ。しかし、そんなこと今更言っても何の意味もない。

「貧困者シェルターにいた頃、行政書士の勉強をしようとしてたことはあったんですよ」

「でも、もう30年は確実に出てこれないよ」

 私は挑発するつもりで言ってみたが、小島はいたって穏やかなままだった。

「30年どころか、私は仮釈放もよしとしませんので」

 後悔は微塵も感じられなかった。

インベカヲリ★
1980年東京生まれ。編集プロダクションを経て、写真家兼文筆家に。写真集に『理想の猫じゃない』『ふあふあの隙間』『やっぱ月帰るわ、私。』、著作に『のらねこ風俗嬢―なぜ彼女は旅して全国の風俗店で働くのか?』(忌部カヲリ名義)など。

週刊新潮WEB取材班

2020年2月6日掲載

前へ 1 2 3 次へ

[3/3ページ]