宍戸錠さんが語った義妹「ちあきなおみ」との仲 復帰して弟のために歌えよ…

エンタメ 芸能 2020年1月29日掲載

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“レクイエムを歌えよ”

 すぐに一緒に暮らし始め、5年後に入籍した。「結婚する時、“式は挙げろよ”と言ったんだけど、結局、挙げなかった。でも、あれだけ惚れあっていたのも珍しい。バカじゃねえのってくらいに惚れあっていたね」結婚後、ちあきなおみは個人事務所を立ち上げ、郷鍈治が社長兼マネージャーに納まった。

「そのうち鍈治が肺ガンになってしまったんだよ。築地の国立がんセンターに入院したんだけど、見舞いに行くと、VIPルームの窓が開かないように、看護婦がガムテープを貼っているんだよ。“何してるんだ”と聞くと、"郷さんが亡くなったら、ちあきさんが飛び下りるかも知れない”というんだね。だから、俺は言ってやったんだよ。“心配するな。そんな女じゃねえよ”って」92年9月11日、郷鍈治は55歳の若さで逝った。「火葬の時、俺は言ったんだよ。“見てろ。ちあきは鍈治と一緒に火葬してくれという格好をするから。でも止めなくても平気だ”ってね。そうしたら、全くその通りになったので、みんな驚いていたね。ちあきはそういう女。生まれながらの役者なんだよ。でも、それが悪いってことじゃない。それくらい“一人の男を夢中で愛していた。その男と添い遂げたい”という気持ちを実際に表に出すタイプの女なんだよ」

 郷鍈治の死から半年後、偲ぶ会が行なわれた。

「ちあきに言ったんだよ。“葬儀は密葬でもいい。でも偲ぶ会の時には、受付はお前がやるんだ。お前の亭主は俳優だった。お前は歌手なんだ。兄貴も俳優だ。みんな偲んでくれるって時、奥さんが来ないのはダメだよ”って。でも、偲ぶ会には来なかったね。電話で“鍈治の一番いい写真を出せ”と言ったけど、“写真がない”という返事だった。だから、俺が鍈治の絵を描いて飾ったんだ」

 以来、この19年間、彼女からは一本の電話も一枚の葉書もないという。

「うちのかみさんが死んだ時も連絡はなかった。別に俺を恐れているわけじゃないと思う。俺にもわだかまりはない。むしろ、鍈治と結婚してからは対等な関係だったし、何度も一緒に飯を食った。俺ほど優しい兄貴もいないよ。でも、なぜか一切連絡をよこさないんだ」

 ちあきなおみは郷鍈治の死後、一切の芸能活動を休止し、沈黙した。その後の消息は亡夫の命日に墓参りに訪れている、と伝えられる程度である。

「ちあきが芸能界から消えて来年で20年か。鍈治が亡くなったと同時に、芸能活動も終わりにしてしまったのかなあ。でも、あれだけの才能があるのに、終わりにするなんて、俺には理解できない。ちあきに言いたい。復帰しろよ。もう63歳だろ。2年後に死ぬか、20年後かわからないけど、歌うべきだ。それほど鍈治を愛していたなら、やつのためにレクイエムを歌えよ。絶対やれよ。ちあき、もう一度歌えよ」

 あの哀感込めた歌声を再び聴きたいと願うのは、宍戸錠さん一人ではないはずである。

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