“令和の大砲”「村上宗隆」に2年目のジンクスはあるか? 清原、松井と比較

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 令和として初めての年越しを終えた日本。この新時代のプロ野球界の主役に一躍、名乗りを上げたのが、ヤクルトの背番号55、2000年2月生まれの19歳、村上宗隆である。

 三兄弟の次男として生まれ、熊本の地で育ったスラッガー。九州学院高で高校通算52本塁打を放ち、2017年秋のドラフトで清宮幸太郎を外した3球団(ヤクルト、巨人、楽天)から1位指名を受けた末にヤクルトに入団した。プロ1年目は2軍で打率.288、17本塁打、70打点の好成績をマークし、9月16日には1軍プロ初打席でプロ初本塁打の衝撃デビューを飾った。そして、2年目の昨季はチーム唯一の全143試合出場。打率.231ながら、リーグ3位となる36本塁打と96打点で類まれな長打力と勝負強さを披露し、新人王を受賞。高卒2年目でのシーズン36本塁打は、「怪童」と呼ばれた“レジェンド”中西太に並ぶ最多記録だった。そして、この“令和の大砲”にとって、より重要になるのが、ブレイクした翌年の2020年になる。いわゆる「2年目のジンクス」を克服できるかどうか、である。

 過去の事例を振り返る。1980年代以降の野手の新人王受賞者は、村上を含めて計28人(セ・リーグ17人、パ・リーグ11人)。その中で、古くは岡田彰布(阪神)や原辰徳(巨人)、近年では長野久義(巨人)や源田壮亮(西武)が新人王の翌年も変わらぬ活躍を見せたが、やはり「2年目のジンクス」に陥った者も多い。

 石毛宏典(西武、打率.311→打率.259)、清原和博(西武、打率..304→.259)、仁志敏久(巨人、打率.270→.242)、金城龍彦(横浜、打率.346→.271)と、特に打率の低下が顕著だ。最近の新人王野手の成績推移を見ても、高山俊(阪神、打率.275→.250)、京田陽太(中日、打率.264→.235)、田中和基(楽天、打率.265→.188)と数字を下げ、唯一、源田だけが打率を上げることができた(打率.270→.278)、というのが現状である。

 しかし、村上はアベレージヒッターではない。スラッガーである。もちろん将来的に打率3割をマークする可能性は大いにあり、昨年末の契約更改の場では新シーズンの目標として「3割30本100打点」を掲げたが、その中でどこに比重を置くべきかを問われれば、やはり「本塁打」である。そこで、同じ高卒スラッガーたちのブレイク翌年の成績を見てみたい。

 まずは清原だ。PL学園高から西武に入団した甲子園の人気者は、プロ1年目の1986年に打率.304(404打数123安打)、31本塁打、78打点をマークし、打撃3部門で高卒新人記録を更新する活躍を見せた。そしてその翌年、前述した通り、確かに打率を.259(444打数115安打)に下げたが、29本塁打と一発長打は健在で、打点は83とわずかではあるが、前年からの上積みに成功している。三振の数を109から88へ減らし、四球の数を49から80に増やした点も見逃せない。3年目からは31本、35本、37本と本塁打数は右肩上がりだったことも考えると、苦しみながらも我慢した2年目は、決して無駄ではなかったと言えるだろう。

 新人王は受賞していないが、高卒スラッガーとして語らざるを得ないのが、“ゴジラ”松井秀喜である。星稜高から巨人に入団した。1年目の1993年は、57試合出場で打率.223(184打数41安打)、11本塁打、27打点と大いに苦しんだが、2年目は全130試合に出場して打率.294(503打数148安打)、20本塁打、66打点と進化。そして、その翌年も打率.283(501打数142安打)、22本塁打、80打点をマークした。その後、4年目以降はメジャーに移籍するまで7年連続で30本塁打以上を放ち、打率3割と100打点も計5回ずつ記録。村上が目標に掲げた「3割30本100打点」は3年連続で達成した。松井の場合は1年目に1軍でプロの厳しさを多く味わったことが、2年目以降の長きに渡る活躍に繋がったといえる。

 もう一人、今オフにDeNAからメジャー移籍を果たした筒香嘉智も、高卒スラッガーとして参考にしたい。清原、松井同様にドラフト1位でプロ入りしたが、彼らと比べて下積みの期間が長く、1年目は3試合出場のみで、2年目も40試合出場と2軍暮らしが長かった。その筒香が1軍のレギュラーを奪い取ったのが3年目の2012年で、108試合に出場して打率.218(386打数84安打)、10本塁打、45打点をマークして“プチブレイク”。侍ジャパンにも選出された。だが、その翌年は開幕から調子が上がらず、中村紀洋、トニ・ブランコとのポジション争いに敗れ、わずか23試合出場のみ。打率.216(51打数11安打)、1本塁打、3打点と大きく成績を下げる結果となった。5年目の2014年は、外野手にコンバートされたこともあって114試合に出場して打率.300(410打数123安打)、22本塁打、77打点の好成績を残しただけに、その前年はまさに不遇のシーズンだった。

 さて、村上はどうなるか。改めて昨季の働きを振り返ると、開幕から4月、5月と好調を維持して2カ月間で14本塁打をマークしたが、6月、7月と打率2割1分台と苦しみ、特に7月は月間本塁打1本のみ。しかし、8月は月間11本塁打とアーチを量産し、9月も打率,250、5本塁打と好調を維持したままシーズンを終えた。勢いだけで突っ走ったわけではなく、相手バッテリーからのマークが厳しくなった中でスランプを経験し、さらにその壁を乗り越えたことは、今季を迎えるに当たっても大きな経験、プラスの要素になるだろう。

 怖いのは怪我だ。昨年11月の秋季キャンプは下半身のコンディション不良で初日に離脱した。高校時代にベンチプレス110キロを持ち上げるなどすでに肉体は出来上がっているが、初めてプロで1年間戦い抜いた疲労は、やはり蓄積されていた。まずはどれだけフレッシュな状態でキャンプインを迎えられるかどうか。そこを出発点とした上で、周囲が村上の負担を軽減させることも大事。これまで通り山田哲人が打線の核として働き、ベテランの青木宣親、雄平も健在ぶりを見せること。新外国人のエスコバーの働きに加えて、廣岡大志や山崎晃大朗といった若手の成長も鍵になるだろう。

 ただ、バレンティンが抜けた分の「長打力」は、村上にかかっている。どれだけ自分を信じ、自分のスイングを貫けるか。調子を落とした時に、自分の中にどれだけ引き出しがあるか。オフの自主トレは、先輩・青木らとともにアメリカ・ロサンゼルス郊外で実施し、成人の日には「立派な大人になれるように頑張ります!」と宣言。浮かれる心配はない。2016年の熊本地震で崩れた熊本城復旧のため、今季から本塁打を1本打つごとに一定額を寄付することも決めた。「2年目のジンクス」。その言葉は、村上がアーチを放つ毎に消えていく。その時、“令和の大砲”が真の完成を迎え、新時代が幕開けする。

週刊新潮WEB取材班

2020年1月25日掲載

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